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起業家原点となった知られざるギフト。ツイ廃のjigen_1さん【GIFTFULストーリー】
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起業家原点となった知られざるギフト。ツイ廃のjigen_1さん【GIFTFULストーリー】

2023/10/17 更新
GIFTFULストーリー
起業家原点となった知られざるギフト。ツイ廃のjigen_1さん【GIFTFULストーリー】

ゲストが、大切な人からもらっていた“ギフト”の存在に想いをはせ、まだ伝えられていない想いを伝える「GIFTFULストーリー」。今回は、ツイ廃・ジゲン(jigen_1 @Kloutter)さんが出会った、3人の先輩ビジネスマンとの思い出を振り返ります。

「いろんなものを売ってきた営業マン」として、多くの業界を渡り歩いてきたジゲンさん。ご自身も、これまでにジーンズ会社やシステム会社を立ち上げてきました。

ジゲンさんは、若き日にとあるビジネスの先輩と出会うことで、その人生はさらに変化に富んだものになったと言います。彼らからどんな“ギフト”をもらったのか。話を伺いました。

一生懸命仕事して、それでもダメなら素直に謝る

――ジゲンさんはどんな少年時代を過ごしたのでしょうか?

ジゲン:
僕は宮城県仙台市で生まれ育ちました。森林公園のすぐ近くに住んでいて、朝から晩までトンボを捕まえたりザリガニ釣りをしたりしていました。

両親はどちらも、自由放任主義で勉強しろと言われたことはなかったですね。
小学生時代からは、「新聞少年」をして稼いでいました。

――新聞少年?

ジゲン:
若い世代の人には、なじみが薄い言葉かもしれませんね。僕が小さい頃は、少年が各家庭に新聞を届けていたんです。そんな子どもたちを「新聞少年」と呼んでいました。僕もその一人で、小学5年生から高校生まで働いていました。

――小学校高学年からアルバイトというのは、確かに今の時代だと考えられないかもしれませんね。

ジゲン:
当時でさえ、本来は小学6年生からじゃなきゃできない仕事でしたけどね。
そのあたりはまあ、いろいろとゆるい時代でした。

新聞少年を始めて、12歳の春にある出来事が起こりました。

僕が新聞配達しているエリアにはいじめっ子がいたんですが、ある雨の日、新聞配達中の僕が乗っていた自転車を、彼らに倒されてしまったんです。倒れた自転車を横目に、彼らは笑いながら逃げ去っていきました。

――それはひどいですね。肝心の新聞はどうなりましたか?

ビニールが破れて、新聞が飛び出ていました。すぐに着ていたカッパを脱いで覆いかぶせたんですが、一部の新聞は濡れてしまって。

頭の中は真っ白でしたが、とりあえず配達を続けました。
そして、恐る恐る配達先のお宅の玄関を開けたんです。

jigenさん背中1

「ごめんください」と声をかけて中に入ると、小上がりの奥にコタツがあり、怖そうなおじさんがこちらを見ていました。その様子がまた、恐怖感をあおられましたね。奥さんが僕の元に駆け寄ってきたので、意を決して新聞が濡れてしまったことを謝りました。

すると、奥にいたおじさんが「なんだ、ずぶ濡れじゃないか。ご苦労さんね」と声をかけてくれたんです。奥さんも、「乾かせば読めるから、風邪ひかないようにね」って優しく接してくれました。

雨の中、カッパも着ずにずぶ濡れになった新聞少年を見て、叱るような大人はいませんでした。

――心温まる話ですね。

ジゲン:
この時の経験は、僕にとって「一生懸命仕事して、それでもダメなら素直に謝ろう」という教訓になりました。

――社会人になるまで、新聞配達以外のアルバイトはしましたか?

ジゲン:
他にもいろいろやりました。閉店後のスーパーの清掃とか、引っ越しのアルバイトとか。

当時はエレベーターのある団地がなくて、4階まで冷蔵庫を運ぶこともあったんですけど、あれは大変だったなあ(笑)。

成功の反対は挑戦しないことだ!

――ジゲンさんは若い頃から「売れる営業マンだった」というのを聞きました。どのように、営業の心得を学んだんですか? 

ジゲン:
売れる営業マンというか、買う人を見つけることに長けていただけです。
喉が渇いた人を見つけられれば、水を売るのは簡単です。肝心の「喉が渇いた人」を見つけるのが、今でいうマーケティングの考え方かもね。僕は昔から、そういうマーケティング的な観点を、誰に教わるでもなく持っていました。

初めての仕事は不動産会社の営業。現代でもよくある話ですが、高齢者や外国人の方など、入居審査が厳しい人々がいて、そこに着目しました。そして、彼らと大家さんとの間に起こる課題を解決する提案を考え、入居可能物件情報を集めていったんです。

ここで数件契約が取れていくと、あとは口コミでお客様が来るようになりました。
まあ、その仕事は1年も経たずに辞めて、その後職を転々とするんですけどね(笑)。
 
――そうなのですね。

ジゲン:
会社に就職が決まっても、すぐに上司と喧嘩を起こしていたんです。26歳の頃には立派なジョブホッパーになっていて、当時の価値観では「この職歴ではどこも雇ってくれない」という人材になっていたんです。

何の志もない僕は、消極的な選択肢として独立することを選びました。結果、ジーンズ会社とシステム会社の二つを設立しました。

――なぜ、ジャンルがまるで異なる二つの業界で起業したのですか?

ジーンズ会社を設立したのは、単純にジーンズが好きだったから。
システム会社を設立したのは、ジーンズより儲かりそうだったからです(笑)。

jigenさん正面1

ジゲン:
ジーンズ会社では、僕がバイクに乗っていたということもあって、ハードに履きまわしても破れないジーンズを開発しました。

システム会社では、アミューズメント業界向けのシステム開発をしていました。今でいうSaaSと呼ばれるサービスです。

システム開発にあたっては、車一台で全国の店舗を訪問して、困っていることをヒアリングして回りました。そこで分かった困りごとを、解決できるサービスを開発して、全国の店舗に提供して回ったんです。

現場に即したサービスを作れば作るほど、「あいつは便利でいい商品を作ってくれる」と口コミが広がり、電話がバンバンかかってくるようになりました。

――会社員時代と同じように、口コミでどんどん広まっていったのですね。お話を聞く限り、起業後は順風満帆という印象ですが。

ジゲン:
システム会社は、田舎の中小企業としてはだいぶ成功したと思います。ジーンズの方は…最初こそ売れたのですが、あまりに頑丈すぎて全然壊れず、リピーターを得られませんでした(笑)。 

そうこうして、起業家として忙しい日々を送っていた時に、僕にとっての師匠であるN氏に出会ったんです。
 
――N氏とはどのように出会ったのでしょうか?

ジゲン:
僕がN氏と出会ったのは、彼がある大学の学長に就任された時でした。その大学の教授と知り合いになり、彼の身の回りの世話をしていたら、N氏を紹介してくれました。

この時、僕はまだN氏の素性を知りませんでした。それでも、カリスマが服を着て歩いているような圧倒的な存在感に、20代の僕はただただ圧倒されたのを覚えています。

N氏は初対面で、僕にこう語りかけてきました。

「やあやあ、君がジゲン君か、話は聞いてるよ。ついてはシンクタンクを作りたいので、手伝ってくれ」

――いきなりの依頼!しかもシンクタンクの立ち上げだなんて、ビッグプロジェクトではないですか。

ジゲン:
僕は昔から、誰かの依頼について「Yes or はい」としか返事しない人間でした。
この時も二つ返事で依頼を引き受けたんです。もちろん、この時はまだN氏の素性は知らないし、ましてや「シンクタンクって何?」なんて状態でした(笑)。

依頼を引き受けてからは、ジーンズ会社の事業そっちのけで、いろいろ手伝わされましたね。事務所にコピー機を用意したり、電話回線を引いたり。

シンクタンクの理事候補の有識者に、声をかけるのも僕の役目でした。
テレアポは得意だったので、N氏が用意したリストに電話をかけまくりました。

電話をかけていて驚かされたのは、電話先の誰もがN氏を知っていたということです。
僕でも知っているような、大手企業の社長や役員クラスの人々が、みんな口をそろえて「N先生のためなら」と言うわけですよ。

――そこではじめて、N氏の知名度の高さを知ったのですね。

ジゲン:
シンクタンクの事務所にも、ビジネス雑誌でたびたび掲載されているVIPたちが、次々に訪問してきました。その誰もが、N氏を師匠と敬愛していたんです。

N氏は、そんな彼らに教えを授けていたわけですが、僕はまだまだ若造で、彼に直接師事できるような人間ではありません。

N氏とVIPとの会話に聞き耳を立てて、「門前の小僧習わぬ経を読む(普段から見聞きすることで、自然とその知識が身につくようになるたとえ)」のように、必死に勉強しました。

jigenさん正面2

 ――N氏の言葉で、今も覚えていることはありますか?

ジゲン:
彼は起業家に対して、「成功の反対はなんだと思う?」と問いかけるんです。相手が「失敗でしょうか」と答えると、N氏は「そうじゃない。成功の反対は挑戦しないことだ!」と答えていました。

「失敗は成功のプロセスに過ぎない。挑戦しなければ成功はない」。彼は常々、そう口にしていましたね。今でも、この言葉はずっと耳に残っています。

N氏は数々の教えを、間接的に僕に授けてくれました。それだけでなく、彼は僕の人生に大きな影響を与える、起業家やビジネスマンとの出会いもくれたんです。

おめでとう。ビジネスマンの仲間入りだ

――N氏はジゲンさんに、どんな人を紹介してくれたのでしょうか?

ジゲン:
一人は、上場企業の会長であるM氏です。N氏はある日、僕に「君はどんな事業をしているのかね?」と質問してきました。

その時点で、このやり取りはかれこれ10回以上繰り返しています。

これだけ手伝っているのに!と思いたくもなりますが、それくらいN氏は雲の上のような存在で、僕のことは眼中になかったんです(笑)。

僕はいつものように、「破れないジーンズを開発しています」と答えました。
するとN氏は、僕にM氏を紹介してくれたんです。

「M君、彼の会社に出資してやってくれ」
「分かりました、いくら欲しいんだい?」

一瞬で投資が決まる様子に、耳を疑いました。恐る恐る「1,500万円ほどでしょうか」と答えると、M氏は「分かった」と一言だけ。その瞬間、M氏からの投資が決まったんです。

――信じられないような出来事!

ジゲン:
ちなみに、M氏は自身の著書で僕のことを紹介してくれたのですが、本の中で僕の会社を「次元」という仮名で記載していました。

それが僕のあだ名となり、Twitterのハンドルネームにもなったのです。

――M氏がジゲンさんにとって、名付け親のような存在なのですね。

ジゲン:
M氏からも、多くの教えを授かりました。その一つが「困難を歓迎しよう」です。

人間はさまざまな病気に対して、免疫が付いたり克服したりして強くなります。
困難が起きた時こそ、強くなる機会だと思いなさいと、彼には言われました。
 
M氏からの投資を受けながら、結局ジーンズ会社はうまくいきませんでした。M氏に不義理をしてしまったことは、今でも後悔しています。

もう一人、大手商社の元役員であるT氏も紹介してもらいました。

彼はN氏と同じく、唐突にさまざまな依頼をする方で。僕はいつものように「Yes or はい」で依頼に応えていました。それが気に入られて、出版講演会やイベントにも呼ばれるようになり、そこではじめて彼の偉大さを知ったわけですが(笑)。

――後になってすごさを知るというのも、N氏と同じだ。

ジゲン:
T氏は、僕がものすごく落ち込んでいた時に声をかけてくれました。

ジーンズの売上が好調だったある時、大手メーカーが僕たちとまったく同じコンセプトの商品を発売したんです。特許などを取得していたものの、勝ち目はないと周囲からも言われ、会社は完全にお通夜ムードになってしまいました。

――それはかなり辛い状況ですね。

ジゲン:
そのことがT氏の秘書さんの耳に入り、電話があったんです。「Tが今から3分だけ電話で話せるので、つなぎますね」と。

こんな落ち込んでいる時に、3分程度で何を話すんだと、僕はふてくされていました(笑)。

開口一番、T氏から「類似商品が出たんだって?それで落ち込んでるのか?」と聞かれ、僕は力なく「はい」と答えました。すると、T氏は予想外の話をし始めたんです。

「なぜ落ち込む必要がある?その会社は誰もが知っている大企業じゃないか。その企業が君の商品を模倣したってことは、一流の商品って認められたってことだ。3流の商品を誰が真似る?」 

そして、彼はこう僕に言ったんです。

「おめでとう。ビジネスマンの仲間入りだ!」 

あれだけ落ち込んでいた僕の頭の中で、彼の言葉だけがずっとリフレインしていました。

稼いだ金を全て注ぎ込み、はじめて他人からの投資を受けて、開発に2年以上費やした商品が模倣されたのに、これでようやくビジネスマンの仲間入りなのか。今でこそ、大手や競合にサービスを模倣されるなんて気にもしなくなりましたが、当時はビジネスマンのハードルの高さに、愕然とさせられました。

一方で、T氏の言葉に感化された僕は、社員に向かって「もう大丈夫だから、俺はもうビジネスマンだから」と豪語していました。まるで、高倉健の映画を見た人が、劇場を出ると肩で風を切って歩くのをマネするように。

ビジネスマンになったとうそぶくことで、この状況を笑いとばすことができたのです。

落ち込んでる若者に、「おめでとう」と言って逆に勇気づけるT氏の、言葉の凄さを今も感じます。

jigenさん背中2

多くの先輩たちと同様に、誰かの役に立ちたい

――ここまでを振り返って、ビジネスの先輩との出会いは、ジゲンさんにどのような影響を与えていると思いますか?

ジゲン:
こうして振り返ると、諸先輩にたくさんのギフトをもらって、今に至っているのだとつくづく思います。

ジーンズ会社をたたんだ後も、一敗地に塗れるような経験をたくさんしました。そのたびに、どこかから声が聞こえるような気がするのです。

「それは君が挑戦したからだろう、失敗じゃない」
「困難のたびに強くなっているじゃないか 」
「おめでとう、ビジネスマンの仲間入りだ」

膝をついたこともありましたが、この言葉のおかげで、僕はまだ立っている気がします。

天国のN氏には、「門前の小僧もここまできました。僕はあなたの期待に応えていますか?喜んで頂けますか?」と伝えたいです。

現在、僕はさまざまな起業家の相談を受けることがあり、これまでの失敗経験を伝えていますが、成功体験より学びになると言われることが多いです。

多くの先輩が、挑戦する無名の若者を無償で支援してくれたように、僕も何か誰かの役に立てればいいなと思います。


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