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母とぬいぐるみ - 「もらったものが私をつくる」第1話 / カツセマサヒコ【GIFTFULストーリー】
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母とぬいぐるみ - 「もらったものが私をつくる」第1話 / カツセマサヒコ【GIFTFULストーリー】

2023/10/17 更新
GIFTFULストーリー
もらったものが私をつくる
母とぬいぐるみ - 「もらったものが私をつくる」第1話 / カツセマサヒコ【GIFTFULストーリー】

「もらう」よりも「あげる」ほうがなんだか嬉しくて、でもその気持ちは、もしかして「くれた人」に失礼なんじゃないかって思ったりする。

もらったものが気に入らなくて「なんだこんなもの」と憤りすら感じていたのに、後になってそれに込められた気持ちに気付いてようやく愛情を噛み締めたりもする。

カツセマサヒコが描く、“ギフト”にまつわる不器用な人間たちによる一話完結の物語『もらったものが、私をつくる』。

第一回は、ある女性の半生とその母親についてのお話。

母とぬいぐるみ


人生最初の記憶が幸せなものである人は、やっぱりその先の未来も明るく眩しかったり、順風満帆だったりするのかもしれない。でも私の記憶はどれだけ遡ろうとしても、必ずあの真冬の遊園地の景色で行き止まる。

迷子だった。四歳の私は、夜の遊園地を一人泣きながら歩いていた。空気は肌を裂くように冷たく、電球のついたメリーゴーラウンドや観覧車がずっと遠くにあり、その光すらぼんやりと儚く寂しそうに見えた。もう母には会えないのかもしれない。これからは一人で生きていかなきゃいけない。置いていかれたと思った私は、すぐそこにある孤独な未来を想像して、泣きながら遊園地を彷徨っていた。

そんな私以上に泣いたのが、母だった。母は迷子センターにいた私を見つけると、こちらの涙が引っ込むほどわんわん泣きながら、私を強く抱きしめた。どこに行っていたの、探したのよ。叱るように言いながら、強く強く、長い時間、私を抱きしめてくれていた。

ごめんなさい。ごめんなさい。
もう迷子にならないから。ひとりにしないで。置いていかないで。

言葉にしたのか覚えていないけれど、たぶん私は、母への感謝よりも謝罪の気持ちでいっぱいだった。母は私にとっての唯一の家族で、つまり、幼い私にとっての、全てだった。この人から生を「もらった」のは間違いなく、ご飯も、服も、愛情も、この人に与えてもらわないと、私は死ぬ。迷子になった私は、そのことに幼くして気付いたのだと思う。だから、愛されなきゃいけない。いい子にしてなきゃいけない。困らせちゃいけない。自分が家族から排除されないために、お母さんにとっての大事な子供でいようと心に決めたのは、たぶん、あの遊園地の夜からだった。

そのとき買ってもらったぬいぐるみを今でも忘れられないのは、やはり、あのぬいぐるみが母の愛情をもっとも美しく具現化したものだったからだ。母は迷子になっていた私を抱きしめた後、閉店間際のお土産コーナーに連れていってくれて、「どれでも好きなものを買ってあげる」と言った。そんなことを言われたのは後にも先にもこの時だけで、私は本当に嬉しくて、でも、そこに「お母さんと選んだ」という事実がどうしても欲しくて、母と一緒に自分の背丈ほどのくまのぬいぐるみを買った。

ぬいぐるみは、母と暮らしていた古い長屋から私が出ていくまで、ずっと私のそばにいた。一度激昂した母に捨てられかけた時もあったけれど、必死にゴミ置き場から連れ戻して、やっぱり抱きしめて眠った。ボロボロになってもそばに置いておきたいと思ったのは、あの遊園地の夜の抱きしめられた思い出を忘れたくなかったのかもしれないし、もしかすると、母と二人きりの部屋に、母以外の存在がどうしても欲しかったからかもしれない。

母はずっと、寂しそうだった。

父は、私が幼い頃からほとんど家に帰ってこず、たまに少しのお金を置いて、またすぐどこかに出かけてしまうような人だった。熱心に働く人だなあと幼いながらに思っていたけれど、実は父はよそで別の家庭を築いていて、母と私は、置いて行かれた元家族だった。それを知ったのは私がもっと大人になってからで、どうしようもなかった父をそれでも愛していた母は、やっぱりずっと寂しそうだった。

母は時に私に強く当たったし、今思えば、親としては言ってはいけないことを口にすることも多かった。私が役に立たなければ、母にプラスに思ってもらわなければ、私の居場所がなくなる。その緊張感が、自分の中にいつもあった。不足した愛情をどうにか補うように、母がくれたぬいぐるみを抱きしめて眠った。

小学校に通い始めると、母はより長く働くようになり、帰りも遅い日が増えた。帰ってくるといつもお酒の匂いがして、たまに知らない男の人が、うちの玄関の前まで母を送ってくれていた。

男の人が来るたび、母は、母じゃない顔を見せた。それが当時の私には、とても恐ろしいことのように思えた。

お母さんは私の全てなのに、お母さんからしたら、私は全てではない。そのことが決定的に寂しく、どうしても受け入れ難かった。たまに仕事が休みになれば母はいつもの母に戻って、それでも特段甘えさせてくれる訳ではなかったけれど、一緒に街に出かけたりすることが嬉しかった。父親がいないことを寂しく思うよりも、母が私の方を向いてくれなくなることの方が、よっぽど寂しく思った。

小学校を卒業する頃には、父親はもう完全に姿を見せなくなって、以前よりさらに少しのお金がたまに振り込まれるだけになった。母はさらに必死に働いて過労状態となり、私に投げかけられる暴言の数も増えた。

一緒にいたいだけなのに、叶わない。
家で笑っていたいだけなのに、涙が出てしまう。

当時はその環境を当たり前のように思っていたけれど、今思えば、異常だった。正直、母は私を疎ましく思っていた時期もあったと思うし、当時の母の状況を思えば、その気持ちも痛いほど理解できた。母には自由が足りず、私には愛が足りなかった。

あの日々はひどい状況であったことに違いないけれど、それでも母は必ず朝食を私に用意してくれていたし、自分の服はほぼ毎日同じなのに、私にはいつも新しいものを買ってくれていた。借金を作らないように必死に工面して、自分にも他人にも厳しく生きていた。吐き捨てられた暴言の数々は今でも最低だと思うけれど、愛情を言語化するのが下手で、見返りを求めない優しさを内包しているのが母だった。そのことに気付けたのは、母と別々で暮らすようになって十年以上経ってからだった。

「ごめんね」

母が後悔を表すように謝ったのは、私が社会人になって一人暮らしを始めるタイミングだった。引越しのトラックが出発した後に発せられたあの謝罪は、過去のどの言動に向けられたものだったのか。釈然としなかった当時の私は、曖昧な返事をしたままひっそりと家を出た。

今となれば、育ててもらったのに母を置いて一人暮らしを始めたことも、私を育てるためだけにたくさんのことを我慢させたことも、こちらこそ「ごめんね」だし、それ以上に「ありがとう」だった。愛は遅れて気付くようにできているのだとしたら、人生は随分と意地悪だ。

私が一人で暮らしていけるようになるまで、私が帰る場所は間違いなくあのボロボロの長屋しかなかった。親子で寄り添いあっていたのではなく、母に支えられていた。当時の自分はまだ働くこともできていないし、笑顔以外、何も返すことができなかった。ずっと無力感に苛まれていたのが、私の十代だった。

そんな薄暗い景色しか覚えていないからこそ、あの焦茶色のくまのぬいぐるみだけが、自分の中で確かな温もりと色彩を持って、記憶に刻まれている。母からもらったものは、不器用な愛も含めて、あのぬいぐるみの中に詰まっていた。そして今は、もうすぐ生まれる私の子供に、母よりももう少し上手に、愛のバトンを渡してみたいと思っている。

作者プロフィール



カツセマサヒコ
小説家

1986年東京生まれ。2014年よりライターとして活動を開始。2020年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。同作は累計14万部を超える話題作となり、翌年に映画化。2作目の『夜行秘密』(双葉社)も、ロックバンド indigo la Endとのコラボレーション小説として大きな反響を呼んだ。他の活動に、雑誌連載やラジオ『NIGHT DIVER』(TOKYO FM 毎週木曜28:00~)のパーソナリティなどがある。


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