「もらう」よりも「あげる」ほうがなんだか嬉しくて、でもその気持ちは、もしかして「くれた人」に失礼なんじゃないかって思ったりする。
もらったものが気に入らなくて「なんだこんなもの」と憤りすら感じていたのに、後になってそれに込められた気持ちに気付いてようやく愛情を噛み締めたりもする。
カツセマサヒコが描く、“ギフト”にまつわる不器用な人間たちによる一話完結の物語『もらったものが、私をつくる』。
最終回となる第十二回は、子育てを終え、人生を再び選ぶ決断をした人の話。
「お母さん、やりたいこととかないの?」
不意に娘に聞かれたのは、昼食に炒飯を食べているときだった。朝からつけっぱなしになっているテレビは土曜の混雑した中華街の様子を中継している。夫は接待でゴルフに出掛けていて、娘は珍しく遊びに行く予定もないというので、二人でのんびりとした時間を過ごせていた。
「急にどうしたの?」
「いや、なんとなく。お母さん、ずっと家にいるでしょ? やりたいこととかないのかなーって」
「ええ? わたし、そんな退屈そうに見える?」
「いや、退屈そうっていうか、まあ、うん。何かあるなら、やればいいのにって」
女がずっと家にいる時代なんて、もう終わったんだし。
娘は炒飯を頬張りながら、そう言った。わたしは、いくつかの意味で驚いていた。娘からすれば、わたしはつまらない人生を歩んでいるように見えていたこと。娘自身が、そんな親を客観視するほど成長していたこと。そして、わたしは娘から疑問を投げかけられるまで「やりたいこと」なんて考えもしていなかったこと。
この18年、子育てに没頭していた。今日まで育児に専念できたのは夫のおかげだけれど、娘から見れば、私は杭とロープで家に縛り付けられたように、近所から出かけることはほとんどない不自由な人間に見えていたのだろう。唯一の社会との接点ともいえる近所の薬局でのレジ打ちも、自己実現なんて言葉からはほど遠く、すべては娘の習い事や塾の月謝を払うための手段に過ぎなかった。
そしてこのまま、わたしは近所からほとんど出ることもなく、一生を終える?
スプーンに炒飯を乗せたまま、考え込む。子供を産む前に働いていたデザイン会社は、本当に好きだった。社員は15名もいなかったのに、みんなが素晴らしい才能を持って、たくさんの大きな仕事が舞い込んだ。働いているうちに必要とされる機会は増え、役員登用の話も出ていた。
ずっとここで働きたい。そう思っていたけれど、子供を持つことになって、初めてその会社には育児休業などの制度がまるで存在しないことを知った。
休んでいる期間まで、面倒を見ることはできない。
代表にはっきりとそう言われて、辞めざるを得なくなった。辞めたら辞めたで、育児はとんでもなくやることが多くて、翻弄されているうちに、仕事のことなんてすっかりどうでもよくなってしまった。
時は流れて、今に至っている。
「でも、わたしが働くことになったら、今みたいに昼ごはんとか夕飯とか、いつもは作れないかもよ?」
「そんなの、どうにかするって」
「お父さんはどう言うと思う?」
「あの人もたまには自分でご飯作ったりしたほうがいい。ユキんち、覚えてる?」
「同じ小学校の?」
「そう。いっつも家に遊びに行くと、ユキのお父さんがご飯作ってくれてたの。肉じゃがとか甘―くて美味しかった。私、そういう父親に憧れてたんだなーって」
「ずいぶん昔じゃん」
「でも今からでもそうしてって話」
娘は楽しそうに言った。いつの間にか、夫の改造計画についての話になっている。
「洗濯とか掃除とかも、すっごい雑になるかもよ。もうあなたの服とか、畳んだ状態では置いておかなくなるかもよ?」
「いいよ。物干し竿から勝手に取って着るし。てか洗濯機くらい自分で回すよ」
「おおー? 言ったね?」
「あ、待って、いや、たまにできないかもだよ? でもでも、やる気はある」
「まあね、全部が急には無理だからね。でも、わたしがやりたいことやるーっていうのは、つまりそういうことだって、わかって言ってるってことね」
「もちろん、もちろん。もうわたし、大学生ですし」
「オーケー、オーケー」
立派になったなあ、としみじみ思って、その途端、涙腺が緩みかける。娘の習い事のスイミングスクールまで送り迎えをして、プールの更衣室で着替えまで手伝っていた日々が、ほんの最近のことのように思えるのに。
「え、それで、やりたいことは何?」
改めて尋ねられて、やっぱり思い浮かぶのは、デザイナーとして仕事に没頭していた日々だった。パソコン画面に向き合って、針に糸を通し続けるような、そんな集中した時間。ゼロから何かを生み出していくことの快感。それらは、家事や育児からは得られない何かを、私にもたらしてくれていた気がする。
「もう一度、働くことかなあ」
口にした途端に、眠っていた心が踊り出す感覚が、確かにある。忘れていた野心のようなものが、自分の中で、再びかすかに燃え出した気がする。
「ねえ、働くのって、そんなに楽しいの?」
「え、あー、人によるかも」
「ね。お父さん見てると、しんどそう」
「あははは、確かに。でも、あれはあれで、楽しんでやってると思う」
夫が働いている姿が好きだった。娘が生まれる前は、二人で忙しい合間を縫って会社帰りに待ち合わせをして、一杯だけお酒を飲みに行ったりしたものだった。
「大変なんだけどね。大変なんだけど、すっごい充実してたんだよね。そういう仕事に出会えたことも、わたしはラッキーだったと思う。こうやって、いい娘に育ってくれたことも、ラッキー」
ピースサインを作ってみると、娘も照れくさそうに返してくれた。
「じゃあ、お母さん、人生ここから再スタートね」
「はい。てか、あなたはあなたで、将来きちんと考えなよ」
「だいじょぶ、私はハタチになるまで、ひたすら遊ぶって決めてるので」
「まあ随分しっかりと考えてらっしゃる」
不敵に笑う娘に、勇気づけられる。
自分の人生を選ぶ。大切なことなのに、ずっと奥底にしまっていた発想だった。時間はいつだって不可逆で、このまま真っ直ぐに伸びているものかと思う。でも、本当の行き先は自分で決めていいのだと、そんな当たり前だったことを、娘は思い出させてくれた。
「じゃあ、とりあえずお父さん帰ってきたら、相談かなー」
「私もプッシュするから、その場には必ず呼んでね」
人生は、誰かがくれたプレゼントだ。
そして自分で、選択することができる。
私はもう一度、この人生を楽しむために、18年前に働いていたあの会社に連絡してみようと思った。
おわり
カツセマサヒコ
小説家
1986年東京生まれ。2014年よりライターとして活動を開始。2020年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。同作は累計14万部を超える話題作となり、翌年に映画化。2作目の『夜行秘密』(双葉社)も、ロックバンド indigo la Endとのコラボレーション小説として大きな反響を呼んだ。他の活動に、雑誌連載やラジオ『NIGHT DIVER』(TOKYO FM 毎週木曜28:00~)のパーソナリティなどがある。
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