「一般的に人は『猫を飼う』っていうじゃないですか。でもあれ、猫を飼ったことがない人の発想ですね。猫を飼ってる人の中には『猫様を飼わせていただいている』っていう人がいますが、猫を飼っているんじゃなくて、猫に飼わされているんです。猫が主で私たちが従なんですよ。猫のお陰で毎日が豊かに見えてくる。猫を撫でていると自分の人生が肯定される。 うちの猫たちを見ていると『この子たちと出会うために自分はこの時代に生まれてきたんだな』なんて大げさなことを本気で思ってしまいます」
―― そう笑顔で語るのは、Web制作会社ベイジの代表取締役 枌谷 力(そぎたに つとむ)さんです。
過去に受け取っていた “人生のギフト” に想いを馳せる「GIFTFULストーリー」。今回は、「猫がいる人生」について、お話をうかがいました。
枌谷:幼いころから、動物好きではありました。親からもらうプレゼントは生き物の図鑑が多かったです。恐竜に魚、哺乳類、虫、だんだんネタがなくなってきて、最後は蜘蛛の図鑑でした。動物園や博物館も大好きで、小学生の時は上野の科学博物館の友の会の会員になって、毎週通ってたこともありました。
でも、犬や猫と暮らした経験は少なかったですね。4歳ごろに犬を飼ったこともありますが、引っ越し先がペットNGで、すぐにおばあちゃんの家に譲ることになってしまいました。犬や猫を飼ってる友達は羨ましかったですね。猫と暮らすようになったのは、大人になってからです。
最初に一緒に暮らした猫、ミッフィー。
今は、白と茶の兄弟のチンチラ(ペルシャ)を飼っています。以前にミッフィという猫を飼ってて、そこから「ミ」と「フ」に名前を分けて、茶を「ミッフィ」、白を「フラッフィ」と名付けたのですが、そんな名前で呼んだことはなくて、茶を「豆男」、白を「ふうちゃん」と呼んでいます。豆男の方が呼び捨てですが、同じようにかわいがってます(笑)
現在飼っている猫、マイペースな豆男(茶)と人見知りなふぅちゃん(白)
猫と暮らす生活って、特別な何かが起きるわけではないんです。猫とは散歩にも行かないし、猫の方から人間に対して何か大きなアクションを示すこともありません。基本的に大人しい生き物なので、ほとんど寝ています。何かあるとすれば、夜中に家中を全力疾走する大運動会をしたり、朝4時ごろに寝てる私の顔をつついて起こしにきたり、そんなことがあるだけです。
なんだかよく分からないまま大人しくサンタの恰好をさせられている豆男とふうちゃん
なんだかよく分からないまま大人しくハロウィンの恰好をさせられている豆男とふうちゃん
だから「猫との生活はどうですか?」と聞かれても、「こうです」って、うまく答えられないんです。ただ、一緒に暮らすことで、人生が豊かになったり、幸福感があがったりする。
春巻きが食べたいのか何なのか
旅行で北海道に行こうが京都に行こうが台北に行こうがパリに行こうが、ずっと家にいる猫の話をしてて、あれ、なんのために旅行してるんだっけ?となったりします。動物園に行けば茶色い小動物のことをすべて「豆男」って呼んだり、近所を散歩してる時に出会う白い生き物はすべて「ふうちゃん」って勝手に呼んだりしています。小洒落たバーで出てきた細長いチョコレートを見て「これあいつらが砂の上にするアレに似てるね」とふふふと笑い、そのまま酔って家に帰って「豆男ー!」「ふうー!」と抱きついて嫌がられて逃げられるという、なんかそういうささやかな幸せを人生や家族に与えてくれる存在ですね。
私は2022年に東京から福岡に移住して、その時に家も建てたのですが、「ここに猫が通れる穴を作ってほしい」「この隙間は猫が落ちてしまうかもしれない」という話を、家の設計士さんとかなりしました。設計士さんに「また猫ちゃんのことですか?」と笑いながら言われましたが、そこは譲れない。
インテリアやレイアウトはいつも猫ファースト
そうやって何度も議論をして、設計士さんやインテリアデザイナーさんに選んでもらった安くないソファーやラグに、猫たちは早速毛玉を吐いて汚すわけです。なんでわざわざそこを選んで吐くのかなーと思うのですが、そういうのが幸せなんです。この感覚、分かりますか?(笑)
悪いことをして確保される豆男
家自体も猫の安全や暮らしを考えて猫ファーストな設計をしましたが、こちら側の勝手な思いやりも、猫にはまったく伝わっていません。私の仕事部屋よりも広い部屋に、猫のおもちゃをひとしきり置いた「猫部屋」なるものをわざわざ作ったのですが、今のところほとんど使ってくれていません。
入っちゃいけない部屋の前で扉が開くのを待つ豆男とふうちゃん
こういうすれ違いは、猫と暮らしていれば日常茶飯事です。デザインが素敵な猫ハウスよりAmazonのダンボール。ネットで見つけた海外製の完全オーガニックで栄養管理したフードよりその辺で売ってる猫缶。猫にすれ違いの愛情を注いで、勝手にご奉仕して、勝手に生き甲斐にする。これが猫に心を奪われた人間の生き方なんですよ(笑)。
どんなキャットタワーやキャットハウスよりも段ボールが好き
枌谷:猫が与えてくれることの一つに、「人との繋がり」があると思っています。特にSNSとの相性が良くて、猫を通じた人と人の繋がりを無限に拡げてくれる実感がありますね。
私のInstagramアカウントにはフォロワーが約1万人、妻のアカウントには約10万人ほどいて、そんなに増えたのはかつてのアルゴリズムの影響もあるのですが、写真をアップしているだけでこんなにも人と繋がれるのだなと、猫の威力を思い知りました。
ソファでくつろぐ豆男おじさん
Instagramには、猫好き同士の緩やかなコミュニティがあるんですよね。そこでフードや猫用品の情報交換をすることもあれば、病院や病気の相談をすることもあります。かつては猫の病気とは自分と家族だけで向き合うものでしたが、SNSで繋がった人たちと悩み相談や情報交換ができるのは、今の時代ならではの心強さといえます。そこから食事に行くような仲になった人たちもいます。そういえば空港で、空港職員の方に「いつも豆ちゃんとふうちゃんを見てます」と声をかけられたこともありました。
毎日10回以上「今日もかわいいね」と言われて生きているふうちゃん
そんな繋がりが広まって、雑誌の猫特集に載ったり、猫がテーマのイベントに写真が使われたこともありました。こういう出来事が起きるのは、猫×SNSならではだなと思ったりします。
渋谷ヒカリエで2018年に行われたイベントの扉絵
妻のアカウントのフォロワー構成を見ると、海外の方も多いんですよね。一時期は、アラビア文字でお誕生日のメッセージが届いたり、フィンランド在住のイラストレーターが手描きのイラストを国際郵便で送ってくれたこともありました。今はInstagramのアルゴリズムが変わって、他国の方のコメントはめっきり減りましたけど。
猫が人同士を引き寄せる極めつけだと思ったのは、私も大好きな世界的に有名なイギリスのロックバンド、Bring Me The Horizonのツアーギタリストが、うちの猫を見てくれていたことです。本人から「いつも彼女と一緒に見てるよ」とDMをもらったこともありました。この時は猫の力って本当にすごいな、って思いました。猫の魅力の前では、国籍も言葉の壁も超えてしまうんですよね。
特に子猫の写真は世界中の人が好き
ただ、猫を介したSNSによる人との繋がりは、楽しいことばかりではないです。仲良くしていたアカウントの猫が病気になったとか、亡くなったとか、繋がりが増えるほど悲しい情報に触れる頻度も増えていきます。可愛い楽しいだけじゃなく、喜怒哀楽のすべてが共有されるのがSNSなんだな、と改めて思います。そういう体験ができること自体も、「猫からの贈り物」かもしれませんけどね。
枌谷:SNSで悲しい情報に触れてても思いますが、猫との生活は、辛いことも隣り合わせだと思います。猫は腎臓が強くないこともあり、7~8歳を超えてシニアになると、健康や病気のことを意識せざるを得なくなります。病気によっては頻繁に病院に通う必要も出てきて、感受性が強い人はそのことで精神的にまいってしまうこともあるでしょう。
今は色々な薬や治療法が生まれていますが、それも飼い主を迷わせる一因な気がします。中には高額なものもありますが、そうした選択がありながら選択できないことに、罪悪感を感じる人もいるようです。安楽死を選ぶかどうかという選択で苦しむ人もいます。猫を飼っていればどこかで、生死に関するなんらかの選択を迫られます。
Instagramを見ていると、亡くなって数年たっても、「会いたい」という言葉を添えて猫の写真をアップしている人もいます。それほどまでに愛おしい存在と出会えた人生は幸せだとも思いますが、いわゆる「楽しい!」「ハッピー!」という感覚とは違うものだと思います。
私が以前飼っていた猫も、亡くなる半年ほど前に、腰にできた腫瘍が原因で下半身が動かない状態になりました。その看病が結構大変でしたね。猫はおしっこがでないと毒素が回って死んでしまうので、強制的に排尿しないといけないのですが、そのための「膀胱絞り」というのが私はうまくできなくて。結局は毎日のように動物病院に連れて行き、猫にはストレスを与え、家に帰ってまた膀胱絞りにトライするが全然できず、というのを繰り返していました。思い出してもなかなか大変な半年間でした。
よく布団に入ってきて一緒に寝てたミッフィ
それでも、立てなくなったのはヘルニアで、ある程度したら再び歩けるようになると思っていたのですが、検査で癌だとわかったときは、本当にショックでした。それは随分前の話なのですが、そのあたりの一部始終や、亡くなる瞬間の時刻に至るまで、今でも結構鮮明に覚えていたりします。
立てなくなってもご飯の時は目を輝かせる
そういえば、その時に思ったことがあったのですが。最初、「今まで歩けていたのに歩けなくなってかわいそう」と私は思っていました。でも、当の猫の様子はちょっと違いました。
確かに最初は戸惑って、動かない足を動かそうとバタバタしていたことがありました。でも数日もすれば、後ろ足が動かないことを当たり前に受け入れたんです。ごく普通に、窓の外を鳥が飛んでる姿をのんびり眺めて穏やかに過ごしていました。
そんな当たり前のことを、って話ではあるんですが、「もう歩けない自分はかわいそう」だなんて、猫は思わないんですよね。「今は足が動かない。ただそれだけのこと」と、あるがままの今の自分を受け入れているわけです。人と比べたり、過去の自分と比べたり、人間はそういうことをすぐにしますが、猫は、今その瞬間を生きている。人間が猫や動物の姿に癒しを覚えるのは、こういうところなんじゃないかな、と思ったりします。
人間って色々考えて大変だね
実は今飼っている猫も、ふうちゃんはてんかん持ちで、豆男は多発性嚢胞腎という遺伝性の病気を抱えています。でも今のところは元気で、当たり前ですが、本人たちも別にそのことで悩んでいない。だから私たちも心配しすぎず、とにかく目の前で元気でいる猫たちといる毎日を、いい意味で刹那的に楽しく過ごそうと思っています。
特に何も考えてない豆男
猫は直接的に何かを教えてくれるわけではないのですが、猫と触れていることで、生きること、幸せ、健康、命、そういったことに対する考え方や見方を、色々と教えてもらってるように思います。
枌谷:「もしも今の会社を引退したら何をする?」って話を経営者同士で話すときがあるのですが、猫や動物たちから生きるエネルギーになる大切なものをもらっている実感があるので、動物を守る仕組みを作る、あるいは作っている人を支援する活動をしてみたいな、という気持ちがあります。
例えば、福岡県の古賀市にある一軒家の保護猫カフェ「Cafe Gatto(カフェガット)」は、ただの猫カフェじゃなく、人間は猫の家にお邪魔するゲストであるというコンセプトで、衛生面や猫のQoLをしっかり考えた運営をされています。
猫に限らずですが、動物にまつわる日本の環境には課題が非常に多いと思っています。良い/悪いで単純に語れないことも少なくないですが、私が仕事の中で身に付けたマーケティングやSNSやウェブの知見で、猫や動物たちを支援するような活動ができないだろうかと考えることは多いです。実際にやるとしても、もう少し先の話になると思いますが、生きてる間に「猫への恩返し」ができるといいなと思っています。
LINE公式アカウントをお友だち追加するとギフトにまつわる心あたたまるストーリーを受け取れます。
選び直せるギフト
GIFTFULは贈り手が1つ選んで贈り、
受け取り手は好きなギフトに選び直せる
新しいギフトサービスです。