GIFTFUL ロゴ
G
N
I
D
A
O
L
トップ
>
ジャーナル
>
深い傷を残した自分への嘘。40歳Jリーガーの自分を取り戻すための挑戦 | GIFTFULストーリー
G
N
I
D
A
O
L

深い傷を残した自分への嘘。40歳Jリーガーの自分を取り戻すための挑戦 | GIFTFULストーリー

2023/10/17 更新
GIFTFULストーリー
深い傷を残した自分への嘘。40歳Jリーガーの自分を取り戻すための挑戦 | GIFTFULストーリー

ゲストが、過去に受け取っていた“ギフト”の存在に想いを馳せる「GIFTFULストーリー」。今回は、40歳で年俸10円Jリーガーになった安彦考真(あびこたかまさ)さんが、挑戦の連続である人生を振り返ります。
サッカーを通して、応援してくれる仲間に出会い、苦難を乗り切ってきた安彦さん。同時にその仲間もまた、安彦さんの挑戦する姿からさまざまなものを受け取ってきたようで――。挑み続ける本気の想いからうまれた“ギフト”の贈りあいについてお話を伺いました。

高校3年の夏に単身でブラジルへ!本気の行動は人を動かす

安彦考真(あびこたかまさ)さん
――まずは幼少期のころの話からお聞かせください。

安彦:
幼稚園のときからずっとサッカーをやっていました。中学3年で受験を考える頃から「サッカーでブラジルに行きたい」という気持ちが芽生え、勝手に留学を申し込んで、親に怒られたこともあります。
高校はサッカー強豪校に行きたかったけど、勉強の成績が足らず、結局校則なんてあってないようなヤンキー学校に進学。「ここではサッカーは無理だな」と思うようになってしまって、俺もどんどんやさぐれてしまいました。

――サッカーから離れていた時期があったんですね。

安彦:
でも、ずっとサッカーには未練はあって…。高2の夏、サッカー部の友だちが夏休みの間にブラジルに行ったという話を聞いたんです。それを聞いて、「先を越された!先にブラジルに行くのは俺だよ!」とすごい焦りを感じ、すぐ親に直談判しました。だけど「冗談じゃない!ろくに制服も着ないし、部活も勉強もせずに、遊び呆けている。誰がブラジルに行かすか」みたいに言われてしまって。

さすがに俺もそのときは、「そりゃ、そうだよな」とは思ったんです。だけど、諦めきれなかった。同時に「思いだけでは人は動いてくれない。人を動かすためには、自分の行動が必要」ということにも気づきました。

自分で稼ぐしかないと思って、新聞配達のバイトをはじめました。毎朝2時に起きて、雨の日も雪の日もやり続けたんです。5カ月後に、貯めたお金を持って親に「これでどうだ」と。そうしたらやっと、「そこまでやったなら行ってきなさい」と言ってくれたんですよね。たぶん親も毎日新聞配達に行く姿を見て「こいつは本気なんだな」と思ってくれたんでしょうね。それは今、自分が親になって理解できる気持ちでもあります。

――それで、高校3年生の夏に初めてブラジルに。行ってみてどうでしたか?

ブラジル時代の安彦さん(写真中央)
安彦:
カルチャーショックはたくさんあったけど、それでもやっぱり最高だった。ちゃんと目を見て「おはよう、元気か」と言って、ハグする。そういうノリが自分にも合っていた。

サッカーの向き合い方も全然違いましたね。日本ではサッカーは習いごと。でも、彼らにとっては生活がかかっている。お金が一番もらえる仕事がサッカーなんですよね。

そうすると、日本から来たやつがプロの枠をとったら彼らの誰かが職を失うわけ。「それは冗談じゃない」と。だから練習でも試合でもパスは回ってこないし、逆にボールを持ったら背後から狙われる。

――どうやって対処したんですか?

安彦:
俺も、日本に戻ったところでヤンキー校だし、何もない。「俺にはサッカーしかない」というハングリー精神はブラジルの彼らと同じだったから、ここでも本気の態度を見せていった。そうしたらだんだんと彼らも「こいつは生半可じゃない」と認めていってくれた感じ。

1カ月の滞在予定を延長して3カ月くらいブラジルにいました。高校生のときに、そういう体験ができたことで、自分の価値観は本当に変わった。新聞配達で稼いで、努力して行ったというのもあると思う。

ブラジルの仲間と

――高校受験で一度挫折してからのトライだったのもよかったのかもしれないですよね。

安彦:
そう。コンプレックスや劣等感があって、「もっと俺の力を見てくれ!」みたいな感情から生まれたパワーがたしかにあった。そこからちゃんと助走をとって、踏み切るタイミングを自分で決めて、飛んだ先に自分の夢があった。この経験は今でも活きていると思いますね。

「もうサッカーが嫌い」始まった嘘の重ね着

――日本に戻って、高校を卒業したあとはどうでしたか?

安彦:
高校卒業のタイミングで、スポーツの推薦枠で大学に行こうと思っていたんですが、不合格。そのときに、親父に「お前、なんで大学へ行こうとしてるんだ。どうせブラジルへ行くんだろ」って言われたんですよね。その言葉で、また火が着いて。バイトしてお金を貯めて、再びブラジルに挑戦しました。

ブラジルでプレーする安彦さん

――その後、ブラジルでプロ契約締結までいきますが、直後に怪我をしてしまったと聞きました。

安彦:
そう。契約書にサインをして、留学生ではなくプロとしてサッカーをしてお金をもらえるとなった2日後の練習試合で前十字靭帯断裂。向こうはシビアだから翌週にはその契約が全部白紙。
なんとか残れないかって粘ってみたりもしたけど、結局、ビザが切れて帰国しました。

――帰国後、怪我が治ったあとは、日本でプロを目指していたんですね。

安彦:
そうですね。怪我も治った頃、清水エスパルスの入団テストの話が来て、「これはチャンスだ」と思って受けさせてもらいました。テストは30分3セットということで、1本目、意気揚々ボールを受けて、クロスをあげようと思ったら…ボールを奪われて。おかしいな…と。次もスライディングで吹っ飛ばされて。そしたら次、もうビビっちゃって、ボールが足の裏を抜けて行っちゃうんですよ。開始5分ぐらいで、「やばいぞこれ」と思ったら、もうボールをもらうのがこわくなってしまった。そこで、とりあえず1本目はやり過ごそうというふうに思っちゃったんです。「ヘイ!」ってパスを呼ぶんだけど、他のプレイヤーの陰に隠れてボールが来ないようにしたりしてね。

そしたら、1本目終わって、「2本目やるぞ」と思ったところで監督に呼ばれて「もう帰っていいよ」って言われた。そこで、終了。

――2本目のチャンスはなかったんですね。

安彦:
そのときに、次のチャンスというのは頑張っている人にあるのであって、誰も彼もが与えられるチャンスじゃないんだって思い知らされました。

そこまでならまだしも、俺、その自分を受け入れられなくて嘘をついたんです。親や友だちに「どうだった」って聞かれても、「いいプレーはできたけど、監督と合わなかった」とか言って。自分がビビっただけなのに。それが嘘の重ね着の1枚目。

あとはもう嘘が止まらなくなっていった。自分の弱さを認められないやつがプロなんかなれないというのもわかっていたけど、それも見透かされたくないからどんどんどん嘘を重ねていったんです。
そのうちに「もうサッカーが嫌いになった」なんていう嘘もついて。サッカーは俺に何にも悪いことしてないし、いろんな経験をさせてくれたのに。サッカーに背を向けるような発言を自分でするようになっていったね。

お前は、バッターボックスに立ってるのか?

――その後はどう過ごしていたんですか?

安彦:
ずっとどこかでモヤモヤしていましたね。相変わらず虚勢と嘘ばかりだけど、だんだん周りはそれが本当だと思ってくる。通訳からはじまって、自分でも4つくらい事業をやるようになって。結構稼いで、良いマンションに住んだりして。

でも、全然幸せじゃなかった。幸せというものが、お金を積んでも買えないことがわかった。幸せは、買うもんじゃなくて、自分の中で感じるもんだったっていうのを、そのときに気づいたんですよ。

――なにか転機はあったんですか?

安彦:
あるとき講師として不登校の子たち30人ぐらいに授業をしたんです。発達障害、ひきこもり、不登校、補導歴みたいな子たちがいるクラスで。そこで「10回の素振りより、1回のバッターボックスに立つことが大事」だとか、「クラウドファンディングとは…」とか、偉そうに教えるわけ。そのうちになんかだんだん虚しくなってきたんですよ。

でも、彼らは素直だから、「安彦さんの言うことを信じてやれば、俺らも変われるんじゃないか」って言って、みんなが前のめりになって聞いている。

ある日、生徒が「ほしい本があったので安彦さんに教えてもらったクラウドファンディングをしてみたんです。でも全然お金が集まらなかった」って言ってきて。まわりはみんな「信用されてねえな」って馬鹿にしてるけど、「こいつバッターボックスに立ったんだ、変わろうとしたんだ。じゃあ、お前は???」って言われたような気になってきて。

もうこのままじゃダメだって気づいたんです。

それがちょうど40歳を迎える年。「人生折り返すのか、それとも人生1本道で、また全然違う景色を見に行くのか。お前がジャッジしろよ」って言われた気がした瞬間でした。

――そこからプロ挑戦に向けて動き出すんですね。

安彦:
そう。人生を振り返ってみたら、やっぱりあの清水エスパルスのプロテストでの後悔がめちゃめちゃ強かったんですよね。自分から諦めたよな、やりきってないよな、その現実と向き合わなかったよな…って。「サッカーが嫌いになった」とか言いながら全然、気持ちは消化できてなかったんですよね。その後悔を振り切るためには、弱い自分に向き合って、またJリーグを目指すしかない、そう思ったんです。

最初は、仕事をやりながらJリーガーを目指そうと思ったんだけど、片手間でできるほど甘い世界じゃない。サッカーに全集中するためには、やってること全部やめる覚悟が必要だと思って。すべて手放して挑戦することに決めました。

挑戦する姿が、どこかで、誰かの勇気に

安彦さん

――その決断に周りの反応はどうでしたか?

安彦:
「Jリーガーを目指します」って言ったら、最初は誰も信じてくれなかったですね。それまで周りにいた人たちもさーっといなくなりました。みんないなくなったけど、やっぱり本気の最中って、他人の目が気にならないんですよね。俺としては全然平気だった。

とにかく、自分が本気なんだって姿を見せなきゃいけないと思って、サッカー仲間と練習をはじめて。今でもそいつは一緒にトレーニングしてくれているけど、夜な夜な街灯の下でやっていましたね。最初2人で練習していたのが、そのうち3人になり、気づいたら10数人集まってくれて、できる練習も増えていった感じです。

――お金や仕事がなくなったことで、去った人もいたけど、応援してくれる人もいたということなんですね。

安彦:
当時、住んでいた家も引っ越し先を決めずに解約しちゃったので、そしたら「うちへおいで」とか「車、貸してあげるよ」「ご飯食べていきな」とか声をかけてくれる人もいて。仕事を手放したことで、お金で寄ってきた人たちはいなくなったけど、無償の心でサポートしてくれる人たちがいるということに気がつきました。

こんなこともありました。ちょうどその頃、テレビに出ることがあって。そしたら、アンチが湧いてきて、誹謗中傷がすごかったんですよね。でも、それにコメントで歯向かう人が何人かいたんです。直接俺には「頑張ってくれ」くらいしか言わないけど、見えないところで戦ってくれていたんです。めちゃくちゃ励まされましたね。

――支援ということでは、クラウドファンディングもしていましたよね。

安彦:
「お金を捨ててJリーガーになりたい。俺にお金くれ」という、今思うとなかなか謎なクラウドファンディングでした(笑)。もちろん「こいつやばい」というような目もあったとは思うけど、結果的に160人以上が支援してくれました。

――どこかでみんなも叶えられなかった夢があって、自分はもうそれを追えないから、安彦さんに託したみたいなものがあったのかもしれないですよね。応援をしてくれた人からの言葉で記憶に残っていることはありますか?

安彦:
ある方が、「お前が何をやろうと、俺はお前のことを応援しているから好きなようにやっていいよ」って言ってくれたんですよね。このときのクラウドファンディングは支援金額に応じた返礼品のようなものも用意していなかったので、支援による物質的見返りが一切ない。家族でもないのに支援をしてくれることが不思議で仕方なかったんですけど、よく聞くと「日々、安彦さんがSNSで発信しているメッセージや挑戦する姿に救われている。俺の中の恩返しなんだよ」と。

SNSの投稿なので、彼に向けて言った言葉ではないわけですよ。ましてや誰かのためになるなんて思ってたわけでもない。自分は何かを贈っているつもりなんて毛頭なかったのに、純粋に挑戦したり夢を目指している姿が、どこかで、誰かの勇気になっていたりする。自分は気づかぬうちに贈り物を渡すことができていたんだと。

見返りを求めず無償の支援をしてくださる方々のためにも、自分は挑戦する姿を見せ続けたい。そんな気持ちが芽生えました。

40歳のプロサッカー選手、誕生

40歳のプロサッカー選手、誕生

――プロ契約を目指すために、何から始めたのですか?

安彦:
水戸ホーリーホックの練習に参加するようになったのが2018年1月。練習とか食事管理とかきつかったですね。本当、根性と、執念でそこにいました。

練習でもうヘトヘトで、たとえ試合に出られてもなにもできない状態ではあったけど、あるときキャプテンに「パッと横を見たら、去年まではただの40歳のおっさんだったやつが隣にいる。俺だって『もう無理』って音を上げそうなところで、こいつまだやるのかよって思った。」って言ってもらえたんだよね。自分の半分くらいの年齢の子から「絶対にこの人だけには負けられないと思ったら、今まで以上に自分の力が出せた」と言われたこともあった。

直接的にチームの勝利に貢献したということはないけど、俺が必死に取り組んでいた姿勢を見せられたことで、他の選手の力になっていたのかなあと思うと、少し認められた気がしますよね。自分はただ一生懸命なだけなんですけどね。

――その後、プロ契約したのですか?

安彦:
プロになれたのは、2018年3月31日。ミーティングで「安彦がプロとして加入する」と発表されたとき、チームのみんな拍手してくれて。 俺はもう涙が止まんなくて。みんなも感極まりながら「おめでとう」って言ってくれたんですよ。

プロになれたとはいえ、戦力として活躍できるかと言ったら別の話で。とにかく自分のコミュニケーション力を活かして、選手として選手を鼓舞したり、スタッフと選手を橋渡しするような役割に徹しようとしていました。今、この水戸ホーリーホックに必要なパーツはそこだと。

プロサッカー選手になりたかったんじゃなくて、何かを本気で目指したかった

安彦さん3

――プロ契約から2年後の2020年に引退されましたが、引退のタイミングというのは、自分の中でどういう区切りだったんですか?

安彦:
最初年俸10円で水戸ホーリーホックに入って、そのあと、J3のYS横浜に年俸120円で入りました。俺がいてもチームはお金がかからない。ということは、ずっとJリーガーでいられるかもしれないんですよね。でも、そうやってダラダラ続けることは、Jリーガーたちに申し訳ない。そもそも俺の挑戦もそういうことじゃなかったはず。だから、契約更新したときに、今年で終わろうって決めました。

俺にとっては、あと1年という終わりを決めたときに、人はどう変われるかというのも試してみたかった。「リングのコーナーに追い込まれたときに、お前はどのパンチが出せるんだ。逃げるのか。タコ殴りされるのか」みたいな挑戦をサッカーで最後にしたかった。

でもコロナ渦に入ってしまったんですね。

安彦:
「コロナでリーグが中止になったらどうするの?」って言ってくれる人もいたけど、そういう予期せぬことも含めた上で決めたことだから、2020年で引退は変えませんでした。

最後の試合には、水戸からサポーターが20人くらいバスをチャーターしてきてくれたんですよ。試合には出れなかったけど、「安彦さんがベンチにいるのを見れて感動したし、いい思い出ができた」って言ってくれて。その言葉を聞いて、Jリーガーになることを諦めなくてよかったなと思えましたね。

――ここでサッカーを離れるときは、清水エスパルスのテストのときのような後悔はもうなかったんですか?

安彦:
なかったですね。あのときの後悔があったから、絶対に自分にだけは言い訳をしないことと、途中で根を上げないことは心に決めてやっていたので。

もしかしたら、俺はプロのサッカー選手になりたかったんじゃなくて、何かを本気で目指したかった、それだけのかもしれない。本気で目指すことから一度逃げてしまったことが後悔だったので。今回は、本気で目指せたというのがあったので、やりきったなと。

俺は何度でも立ち上がる

格闘家としての安彦さん

――で、最終戦の引退セレモニーのときに「格闘家になります」っていう、謎の宣言をしてまた周りを驚かせたんですよね。

安彦:
「意思さえあれば何度でも立ち上がれる」というのが俺の人生のテーマなの。そのテーマに今、一番合っているものは何かって考えたときに、右の拳をバンって突き上げている自分の姿が、想像できた。

これは、格闘技じゃないかなと。直感です。サッカーと違って、個人競技だし、どんな試合であっても、スポットライトが俺に当たってしまう。俺と相手しかリングに立てない。そういうものをやってみたいというのもあったのかもしれないですけどね。

安彦さん4

―今後もきっと安彦さんは挑戦し続けるんだと思うのですが、これからの夢はありますか?

安彦:
さっき「意思さえあれば何度でも立ち上がれる」と言ったけど、ここまで挑戦できたのは、やっぱり応援してくれた人たちがいたからなんですよね。サポーターや家族だったり、クラウドファンディングだったりもそうだし、直接見えないところでも応援してくれた人たちがいた。だから、ここまで来れたのかなって。

俺の生き方は自由奔放で適当に生きているように思われることもあるんですけど、考えていることは、その舞台でどう輝くかっていうこと。それが、Jリーグなのか、格闘技団体RISEなのかという違いはあるかもしれないけど、社会の中で働くみなさんと同じなんですよね。

無償の支援をしてくれる周りへの恩返しとしてできることは、本気で挑む姿を見せ続けること。これからもきっと大きな障壁が立ちふさがることが度々あるだろうけど、俺は何度でも立ち上がる。


編集後記(いいたか ゆうた)

安彦さんと直接お会いしたのは数ヶ月前のこと。私も物心ついた頃からサッカーをやっており、安彦さんのことは「年俸10円Jリーガー」のニュースやテレビ番組などで知っていました。
こちらの記事がきっかけで、なんと安彦さんからXでDMをいただきお会いすることに。とても緊張していた私に、昔から知ってるかのようにコミュニケーションをとってくれ、すごく優しく、パワフルな方でした。
挫折から一度はJリーガーの夢を諦め、40歳で夢を掴むチャレンジ。常に挑戦し続ける姿はカッコ良すぎる。
サッカー引退後、格闘技に挑戦。今後も安彦さんがどんなチャレンジをしていくのか、とても楽しみです。


新着記事