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「正しいことをやれ。」大きな決断をする時、必ず思い出す言葉 | GIFTFULストーリー
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「正しいことをやれ。」大きな決断をする時、必ず思い出す言葉 | GIFTFULストーリー

2023/10/17 更新
GIFTFULストーリー
「正しいことをやれ。」大きな決断をする時、必ず思い出す言葉 | GIFTFULストーリー

ゲストが、過去に受け取っていた“ギフト”の存在に想いを馳せる「GIFTFULストーリー」。アナグラム株式会社代表取締役、フィードフォースグループ株式会社 取締役である阿部圭司さんには、重要な意思決定をする時に必ず頭をよぎる言葉があると言います。

独立、アナグラムの創業、会社のグループジョイン……。職業や立場を変えながらも、しなやかに「今」と向き合い続ける阿部さんはこれまでどのような人生を歩み、その「言葉」と出会ったのか。アナグラムのオフィスにお邪魔し、お話をお聞きしました。

株や経営の話が飛び交う食卓。商いは身近な存在だった

――新卒はアパレルメーカーで働かれていたそうですが、いつから起業しようと考えていたんでしょうか。

阿部さん:
いえ、むしろ起業には消極的でした。
親父が会社をやっていたんですが、家で仕事やお金の話を聞かされるのは日常茶飯事。

食事中に「支払手形を銀行に持っていったらお金が払われなかった」って怒ってる話を聞いたり(笑)。

そういう父親の姿を近くで見てたから、どちらかと言えば「起業家にはなりたくないな」と思っていました。
でも、今思えばビジネスの世界のことを日常生活の中で知ることができていたのは、ある意味英才教育だったかもしれません。

阿部さん

――リアルなビジネスの話が当たり前のように聞ける環境ってことですもんね。

阿部さん:
そうそう。家の引き出しを開けたら株券が入ってて「株ってなんだろう」って興味を持ったりね。

――そのほかに当時興味を持っていたことはありますか?

阿部さん:
今でも覚えてるんですが、中学3年生の時に奈良へ修学旅行に行ったんです。
東大寺を見てあまりのでかさに興奮して、泊まり先の旅館ですげえなって同じ部屋の男たちと話していました。そしたら横にいたやつが、寝巻きなのにすげえかっこいいTシャツ着てて(笑)。

――(笑)。

阿部さん:
「これなんのTシャツ?」って聞いたら「GOOD ENOUGHのだよ」って。

で、今度買いに行こうってなったんですが、地元は福島県の相馬市という田舎なので、仙台まで行かないと手に入らない。
しかも、始発で。始発で行かないと買えない服があるなんて、知りませんでした。

年齢的にも中学生って色気づく頃だったし、同級生に教えてもらうことでより服に対しての興味を持つようになりましたね。



――当時は今ほどオンラインでなんでも買えるわけではないですもんね。

阿部さん:
そうそう。今の若い人は知らないかもしれないけど、当時『Quanto』っていうオークション雑誌があったんです。
編集部に自分の売りたいものや買いたいものを雑誌の中の掲載申し込み用紙に書いて送ると、誌面に掲載してもらえる。

今のフリマアプリの雑誌版と言えばイメージしやすいかな。そこで、試しに買った服を出品したら、まあまあいい金額で売れて。

今思えば、あれが一番最初にビジネスをした経験でしたね。

ピンクのオックスフォードシャツの売り方を考えたアパレル時代と、今の業界に踏み入れる原点

――新卒のアパレルメーカーではどんなお仕事をされていましたか?

阿部さん:
そこではビジュアルマーチャンダイジングをしていました。

たとえばオックスフォードシャツを売る時、一番売れる色は白とサックスなんですが、それ以外の売れ筋ではないカラーをいかに売るかを考える仕事です。
マネキンに、ピンクのオックスフォードシャツをおしゃれに着こなすイメージが湧くようなスタイリングを着せたり。

そしたら、僕のいた店舗でピンクのシャツが飛ぶように売れたんです。

阿部さん2

――それはすごいですね!

阿部さん:
その後、アパレルを転々とするわけですが、そもそも、服が好きなだけであって、服の仕事がしたいわけじゃないなと気付きましてですね、アパレルから離れたいなと思うようになり、アメリカへ行ったりふらふらしていたら前職の社長に声をかけられて。

潮流としてこれからITがくるなと感じていたので、チャンスだと思い「やります」と二つ返事で職業を変えることを決めましたね。

阿部さん3

――その後は、どんなことをしていたのでしょうか。

阿部さん:
制作サイドのディレクターとして、内部SEOの設計を担当していました。ただ、ある時集客サイドのディレクターが退職することになり、リスティング広告の案件が100件くらい残ってたので、引き継ぐことになったんです。

阿部さん4

阿部さん:
とはいえ、これまでの業務で手が回りきらなかったので、最初は外部に委託していたんですが、どこかのタイミングで委託先とのミーティングに同席することになって。

その当時は専門用語が多くてなにもわからなかったけれど、直感的に自分でやった方がうまくやれるなということだけははっきりと感じて、リスティング広告やいろんな広告に関する本を買い漁って読みました。一通り読み終えたら、やっぱり自分でできるな、と。

――そこから今の業界へ足を踏み入れていくようになるのですね。

阿部さん:
制作サイドにいた頃は成果が出るのが半年後、一年後とかなので、感謝されることなんてめったにないんですが、リスティング広告の案件を引き継いだら軒並み3倍くらいに伸びて、翌月にはものすごく感謝されたんです。

さらに、安定的な収益も入ってくる。それが、この業界に入るきっかけでした。
まだ専門でやっている会社が世の中になかったので、だったら自分でやるか、と独立することを決めました。

ひとりでやることで感じた限界。起業し、他のメンバーと働くことによる変化

――広告を専門に扱うフリーランスになってからはどうでしたか?

阿部さん:
とんとん拍子でうまくいっていたものの、早々に一人でやることに飽きちゃったんです。

同じ熱量でやってる人たちとディスカッションしたくても、周りにはあまり詳しい人はいなくて、このままじゃまずいぞ、と。ちゃんと同じ目線を持った人たちとお互いに考えていることを言い合ったり、高め合ったりする文化を作った方が面白いよな、と思ったんですよね。

それに、個人で売上を上げていった先の未来を想像してみたら、虚しさしか残らない。
だったら会社を作り、社員や顧客、社会に価値を提供していけるようにしたい、と考えるようになりました。

アナグラム株式会社

――そこから起業するのですね。個人事業主から「経営者になったな」と感じた瞬間はどのタイミングですか?

阿部さん:
会社を作ってからもしばらくは自分自身もプレーヤーで、たしか社員が30人くらいいるときまでは、全員のアカウントも見ていたんです。

でも、実際には見きれてなかったんですよ。見られないのに、見ているふりをしていた。

ある社員から「給与を上げてほしい」と言われて、そのことに初めて気づいたんです。
実際、彼はものすごく働いてくれていたんだけど、彼のアカウントをちゃんと見ていなかったし、その成果を評価する仕組みができていなかった。
全員のアカウントを見られなくても、会社が回るような仕組みが必要だと考えるようになってから、ようやく経営者としての自覚が芽生えるようになりました。

――異業種への転職から個人事業主、経営者、現在は上場企業の経営者とさまざまな立場をご経験されていますが、昔から変わらず大事にしているルールや考え方などはありますか?
阿部さん5

阿部さん:
できるだけ、やりたくないことをやっています。会社員時代から、「1年に2つ以上、やりたくない仕事を引き受ける」と自分の中で決めていて。楽な方と大変な方があったとして、楽な方って想定できるから楽なんですよね。大変な方は、なにが起こるかわからない。でも、そっちの方が後悔が少ないんです。

――大変な方が、後悔が少ない……?

阿部さん:
そうだな、たとえば5千円の服と1万円の服のどちらを買うか迷ったときに、1万円の服を買うと「1万円でこれなんだから、5千円ならもっとここが違ったかもな。じゃあ、いっか」って思うことが多くて。
つまり、リスクをとった方が後悔が少ないんですよね。

あともうひとつの理由として、「大変なこと」ってみんなが大変だと思うことなので、やり手が少ない分、チャンスがあるんですよ。
だから、自分の身の丈に合わないくらいの仕事の方が、僕はいいんじゃないかなと思っています。

「正しいことをやれ」。受け継ぎ、受け継がれていく言葉

――仕事を通じて、これまでさまざまな人たちと出会ってきたと思いますが、誰かから言われたことで今も覚えている言葉はありますか?

阿部さん:
うちの社員が40人くらいの時だったかな。
フリーランス時代からお世話になっているマーケティング業界の大先輩であり、現在は攻城団というサイトを運営している河野武さんが、東京を離れて地元へ帰られることになった時、河野さんとマーケティングに携わっている経営者の何人かと一緒に食事へ行ったんです。

そこで河野さんから、「君たちに頑張ってもらわないと日本のインターネット産業全部ダメになっちゃうから、ちゃんと頑張ってね」と言われて。

「世の中の産業っていうのは、上位5%のトップランナーたちがまともなことをしなかったら、絶対に衰退する。だから、君らが金稼ぎとか違う方向に走ってしまったら絶対に悪い業界になってしまう。君らがちゃんとやるんだぞ」と。

正確な言葉は少し違ったかもしれませんが、ニュアンスとしてはこんな感じでした。

阿部さん6

――トップランナーとして期待している、という意味も込められていそうですね。

阿部さん:
ただ、その時はなにを言われているのか完全には理解できなかったですね。
自分が大きい決断に迫られるようになって、ふと河野さんの言葉が浮かんで「そういうことか」と。

グループジョインする時も、河野さんの顔が浮かびましたし、大きな意思決定する時はいつも「自分たちが取る選択は正しいか」を考えるようにしています。

――常に頭の中の河野さんが問いかけてくれている。

阿部さん:
最近は、社内でも河野さんの言葉が間接的に受け継がれているなと感じたことがあるんです。

きちんと言語化しているわけではなかったんですが、ある日長く働いてくれているクルー(*)のひとりが、「アナグラムマンだったらこう考えます」って言い出したんですよ(笑)。
なんじゃそりゃ、と。

でもみんな、なんとなく共通の認識を持っていて。「アナグラムマン(アナグラムウィメン)はこういうことはしない」「こういうことは言わない」っていうイメージが、社内で共有されていたんです。
そのコミュニケーションが生まれた時、河野さんからの言葉が僕へ、僕から社内のクルーへ、クルーから新たなクルーへとしっかりバトンを繋げられているな、と感じました。

*アナグラムではメンバーのことを「クルー」と呼んでいます。

阿部さん7

――河野さんからもらった “ギフト” を阿部さんが受け継ぎ、次の世代へとまた受け継がれていく、と。

阿部さん:
僕自身、河野さんに言われた当時はピンときてなかったけれど、今こうやって思い返してみると「ああ、あれって河野さんからのギフトだったな」と気づいたように、クルーたちにも今すぐでなくとも、後々にでも、受け継がれているギフトの存在に気づいてもらえたらうれしいですね。

――経営者として、阿部さんご自身はアナグラムをどのような会社にしていきたいなと考えていますか?

阿部さん:
僕は、近江商人の【三方よし】を心のよりどころにして経営をしているし、これからもそのつもりです。

つまり、【売り手よし】【買い手よし】【世間よし】のことです。現代の資本主義は、この三方のどれかが我慢することにより成り立っていることが多いと感じることが多いんですよね。

【売り手】つまり、働き手が我慢することにより成り立つブラック企業、【買い手】が我慢することにより台頭する詐欺的な企業、【世間】が我慢することにより成り立つ未来のことを考えない企業など。

でもやはりそれではサステナブル(持続性可能)ではないなと思うのです。

社会というものは、私たちひとり一人の仕事や消費の累積で出来ているんです。周囲を見渡せば、目に入るものすべてが誰かが手掛けた仕事であって、それを消費しているのは我々自分自身に他なりません。
だからこそ、そこに関わる”誰か”が我慢している状態というのは、健全な社会とは言い難いですよね。

「そんなの理想論」っていろんな人に言われますけど、理想論でよくない? って思ってますし、そうじゃなきゃわざわざ起業する意味なんてないですしね。

河野さんの言葉が「アナグラムマン」の人格として受け継がれているように、僕のこの意志も、きっと誰かが受け取ってくれるはずなので。

編集後記(いいたか ゆうた)

阿部さんと私の出会いは12年前。X(旧Twitter)でやり取りをしている中で突然お会いできることに。
当日、とても緊張していたのを今でも覚えています。ただお会いしたら、阿部さんはとても優しく嫌味なく色々なことを教えてくださりました。
阿部さんから言われた言葉で、大事にしていることの一つに「自分には投資した方がいい。書籍でも服でも。リスクをとった方が後悔は少ないから」という言葉があります。これを今でもずっと守ってきた結果、貯金は全くありませんが(笑)
転職する度、一番最初は阿部さんに相談しています。その時も「自分が好きな選択をすればいい」と、私の選択にそっと背中を押してくれる存在です。もちろん今回の起業の時も同様に。
私も言われた言葉を、受け継げていきたいと思いました。これからも、迷ったら阿部さんに相談させていただきますね。


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