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型にはめられたいじめられっ子時代。自由を解き放ったヴィジュアル系インサイドセールス つつみ(MIHIRO)さん | GIFTFULストーリー
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型にはめられたいじめられっ子時代。自由を解き放ったヴィジュアル系インサイドセールス つつみ(MIHIRO)さん | GIFTFULストーリー

2023/10/17 更新
GIFTFULストーリー
型にはめられたいじめられっ子時代。自由を解き放ったヴィジュアル系インサイドセールス つつみ(MIHIRO)さん | GIFTFULストーリー

ゲストが、過去に受け取っていた“ギフト”の存在に想いを馳せる「GIFTFULストーリー」。今回は、テレビ出演をきっかけに、一躍注目を浴びているヴィジュアル系インサイドセールス つつみさんにお話を伺いました。

学生時代の壮絶ないじめ。憧れていた伝説のヴィジュアル系バンドマンたちからつつみさんは何を受け取っていたのか。バンド脱退後、ビジネスの世界でも再びヴィジュアル系として活動し始めたのはなぜか。背後に隠されたストーリーに迫りました。

つつみさん

つつみさん

ルックスって自由でいいのか

――つつみさんと言えば音楽。子どもの頃はどんな音楽を聴いていましたか?

つつみさん:
両親ともに音楽好きだったので、家ではいつも音楽が流れている環境でした。母親はヴィジュアルロックが好きで、当時だとBOØWYをよく聴いてましたね。

父親はレゲエやロック、ブルースといろんなジャンルが好きでした。

特に父はライブハウスへ行くのも好きで、「ライブの音を家でも味わいたい」とBOSEのスピーカーを買っていたり、音響機材なんかも揃えたりしていて。

ヴィジュアル系バンドを本格的に聴くようになったのは中学生くらいからで、GLAYとか黒夢といった当時メジャーなバンドがすごく好きで、めっちゃ聴いてました。

――好きになったのはなにかきっかけが……?

つつみさん:
今でも鮮明に覚えてるんですが、中学一年生のとき、給食の時間に放送委員が音楽をかけていて。

ある日の給食の時間に、L'Arc〜en〜Cielの『flower』って曲が流れたんです。あのユニークなバンドサウンドを聴いた瞬間、「なんだこれめちゃくちゃかっこいい」「今まで聴いてきた音楽と全然違う」と衝撃を受けました。

それで、後から曲を流していた放送委員に「さっきのなんて曲ですか」って聞いて、すぐにCDを借りに行きました。



「一体どんな人たちが歌ってるんだろう」と気になって雑誌を見てみたら、その時代のL'Arc〜en〜Cielって、髪が長くてメイクもばっちりしていて、少女漫画から出てきたような中性的な見た目で。

その頃はまだファッションにそこまで興味がなかったんだけど、何にもとらわれない彼らを見て「ルックスって、自由でいいのか」とビビビッてきて、ファッションスタイルも含めて憧れるようになりました。

“女みたいな見た目して気持ち悪いんだよ”

――自分で音楽をやってみたいと考えるようになったのはいつごろでしょうか?

つつみさん:
中学2年生になってちょっとギターをやってみたものの挫折してしまい、高校でバンドをやってみたいな、と漠然と考えていました。
でも、いざ高校に進学したら、軽音楽部がなかったんです。どうやら校長がロックを嫌いだったらしく(笑)。
「ロック=不良」という校長の先入観から部活動としてロックバンドを組むのを禁止されていたので、やりたい人をこっそり集めて勝手に結成しました。

ただ、実は高校に入学してすぐゴリゴリにいじめられっ子になってしまって。

中学の頃からHYDEさんに憧れてたから、中性的・女性的なルックスをするのがすごく好きだったんですね。
でも、進学したのが結構堅い進学校だったので、髪を伸ばしたりピアスを開けたりしているだけでも見た目でちょっと浮いてしまっていて。

あと共学の高校だったんですが、男女仲が悪いクラスのなかで自分だけフラットに女子と喋っていたことが、クラスの男子からよく思われなかったようでした。
姉がいるので、小さい頃からお姉ちゃんの友だちと遊ぶのが当たり前で、女子と喋るのはごく自然なことだと思っていたんですけど、外見のことも相まってか、目をつけられるようになったんです。


――なにも悪いことはしていないのに。

つつみさん:
男子でグループを作るときにハブられたり、家にいたずら電話をかけられたりと、次第にいじめがエスカレートしていきました。

掃除用具入れに無理やり押し込められて、せまくて真っ暗な場所から出られない中、罵声を浴びせられながらガンガン蹴られたのは、今でもトラウマになっています。

そんな日常が続いていたある日、朝登校したら僕の机の上にアダルトビデオが置いてあったんです。

そしたらほどなくして先生が教室に来て見つかり、僕だけ生徒指導室に呼ばれて。
「僕が持ってきたものじゃないです」と説明したんですが、いきなりその先生に殴られたんです。

「こんなの見てるから色気づいて髪を伸ばしてるんだろ」「女みたいな見た目して気持ち悪いんだよ、男らしくしろ」と言って。

その出来事をきっかけに、自分の中で何かが音を立てて崩れました。
悪いことをしたわけでもないのにずっといじめに遭って、耐えてきて。
だけど、先生も味方をしてくれなくて、何を信じたらいいかわからなくなった。

『限りなく続くこの道の先に 求めるその何かあると信じたい』

――正しい方へ導いてくれるはずの先生から、そんな理不尽なことを……。

つつみさん:
そこからしばらく不登校になりました。親からは、「どうして学校行かないの」「友だちとうまくやりなさい」とずっと怒られているような感じだったので、家族にも心を閉ざしてしまい、結局誰にも相談できなかった。親も、中学まで優等生だった息子が初めてうまくいかない状況になっていて、どうしていいのかわからなかったんだと思います。

好きな格好をしたいだけなのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだろう。なんで誰も味方をしてくれないんだろう、と考えれば考えるほどどんどん病んできて、生きる意味さえわからなくなってきて。

つつみさん3
そんなとき、薄暗い部屋のスピーカーからLUNA SEAの「FOREVER & EVER」という曲が流れ出しました。

「さまよい続けてる乾いた心は 愛されたいと願うほど傷付いて 限りなく続くこの道の先に 求めるその何かあると信じたい」

絶望し、乾ききっていた僕の心に詞がじんわりと染み込んできて。僕の気持ちを理解してくれる人がいる。生きていればこの先に何かがあるのかも。そんな気持ちが芽生えたんです。

それで、「プロのヴィジュアル系バンドマンになろう」って心に決めました。僕が彼らの音楽を聴いて救われたように、今度は自分自身が悩んでいる人に何かを与えられる存在になろう、と。

やりたいことがはっきりと決まってからは気持ちも前向きになって、アルバイトをしながら学校外でバンドを組んで、ギターもまた練習しはじめました。辛かったけど、なんとか学校にも行って卒業して。そのときは、生まれ変わったような感覚で、とにかく音楽に打ち込みました。

“聴き手の心を動かす音ならば、それはミスじゃない”

――そこからどのように音楽業界と関わっていったのでしょうか?

つつみさん:
売れているバンドのインタビューを読んでいると、「昔〇〇さんの弟子で、ローディー(アーティストのライブで裏方業務を行う仕事のこと)やってた」みたいな話をたびたび目にすることがあったので、ローディーってやつをやれば、プロのバンドマンとしての道が開くのかなと思うようになったんですね。

そしたらファンだったMIYAVIさんの所属しているバンドのCDにチラシが入っていて。
よく見たら、ローディーを募集していたんです。「これだ!」とすぐ事務所に電話をかけたら、履歴書を送ってくださいと言われて。

――まずは書類選考があったんですね。

つつみさん:
そこには募集条件として「普通免許」と書かれてたんですが、当時高校生で車の免許のこととは知らず、ローディーの免許があると思ってたんです(笑)。
でもやる気だけはめっちゃあるし、とりあえず応募してみるか、と履歴書を送りました。

送った後、また担当者に電話してみたら「2週間待って連絡がこなかったら不採用と思ってください」と言われてやきもきしながら待っていたんですけど、連絡がなかったんですね。
それが納得いかなくて、もう一回電話したんですよ。
「やっぱりローディーの免許がないから落ちたんですか? でも誰よりもやる気あります。
ローディーの免許はないですけど、やらせてもらえないですか」って(笑)。

――(笑)。

つつみさん:
そしたら、「いや、ローディーの免許じゃなくて車の自動車免許のことです」って普通に返されて(笑)。結果的には熱意が伝わったらしく、免許はないけど一度会ってくれることになり、スタッフさんやMIYAVIさん含めたバンドメンバーともお話できて、無事ローディーとして採用してもらえることになりました。

かけだしの頃のつつみさん。バンド仲間たちと

▲かけだしの頃のつつみさん(右)。バンド仲間たちと

――MIYAVIさんのローディーをやって、記憶に残っていることはありますか?

つつみさん:
あるライブでMIYAVIさんのギターソロが、一般的に正しい音からは外れていたことがありました。ライブ終了後、スタッフが「MIYAVI、お前ギターの音外れてたぞ」と指摘したんです。そのとき、MIYAVIさんが言った言葉が脳裏に焼きついています。

「音はたしかにずれていたかもしれない。でも、感情が込められたあの音は、間違いなくオーディエンスの心を打っていた。聴き手の心を動かす音ならば、それはミスじゃない」

ハッとしました。一般的に正しい音を正確に奏でることが正解のような気がしていた僕は、高校時代に「男は男らしい見た目をしろ」と言っていた教師と同じかもしれない。「人の心を動かす」という本質さえあれば、音楽は自由。MIYAVIさんのこの言葉のおかげで、そう気づけたんです。

ヴィジュアル系バンドとしてデビュー。チケットも完売

――バンド結成後は、とんとん拍子だったそうですね。

つつみさん:
「MIHIRO」という名前でバンドマンとしてデビューしました。

メンバーの全員が知名度のあるバンドのローディーをしていたので、それぞれのファンの方々が、自分たちのバンドも応援してくれて、最初から大きいライブハウスのライブに呼んでもらっていました。
高校時代には千葉の小さなライブハウスで友だちがかろうじて何人か来てくれる程度だったのに、いきなり舞台が収容人数500人の大きな箱でやれることになり、チケットもソールドアウトして満員で。

初ライブをやったときは「ようやくバンドマンとして、スタートラインに立ったんだ」と、喜びを噛み締めていました。

ヴィジュアル系バンド時代のつつみさん(右から2番目)

ヴィジュアル系バンド時代のつつみさん(右から2番目)

――次第に自分たちのファンも。

つつみさん:
そうですね。ファンの中には、一曲一曲熱心に聴いてくれてファンレターを送ってくれる子もいて。

「実は学校でいじめられているんですが、MIHIROさんのライブですごく力をもらっています」とか「この曲に救われました」って書いてくれていたりするんです。

そういう声を聞いたときに、かつての自分は彼や彼女たちのように音楽からパワーを受け取る側だったから、「ようやく自分が与える側になれたんだ」と夢が叶っている感覚になりました。

ヴィジュアル系インサイドセールス、誕生

――そこからバンドを辞める決意をしたのはどうしてなのでしょうか。

つつみさん:
最初は順調だったんですが、だんだん下がり調子になってしまったんです。ライブをやっても、お客さんが思うように入らない。20代後半に差し掛かると、同期だったバンドが武道館でライブをやるようになったり、テレビに出演するようになったりと、どんどん売れていく中、自分たちは今以上に上へいけなくて。

――20代後半は、特に今後のキャリアを考える時期ですよね。

つつみさん:
ただ、辞めることの怖さもずっとありました。実際、バンドだけでは食べていけなくなっていたので、アルバイトをしてたんです。お金のために始めた電話営業のバイトだったけど、やりがいがあって結構楽しく続けていました。インセンティブがもらえるので、生活費を稼ぐために必死にやっていたら、成績トップになるくらい成績もよかった(笑)。

その会社の上司が、たまたま元バンドマンで、営業のことだけでなくバンドのこととかもいろいろ相談に乗ってもらっていて。そしたらあるとき、その上司にこう言われたんです。「バンドを続けているのはすごいことだと思う。でも、自分も同じ業界にいたからわかるんだけど、売れてそれ一本で食べていけるやつは一握りしかいない。おまえ今30過ぎだよな。もし売れるとしたら、もっと若い頃にそうなってたよ」と。

正直、認めたくなかったけど、心のどこかでは気がついていたんですよね。すぐには決断できなかったので半年間ぐらい悩んで、自分なりに精一杯やれたな、と思えるようになったタイミングで、バンド人生に終止符を打つことを決めました。

――バンドを辞めて突然サラリーマンになり、スーツを着た会社員として働くことに葛藤はありませんでしたか?

つつみさん:
むしろ前向きでした。自分で納得した上で引退をしていたし、営業成績が良くて、営業の仕事がたのしいと思えていたからかもしれませんね。

ただ、二社目の会社に転職すると、営業スタイルががらっと変わり、思うように成績を出せなくなってしまいました。そのときは、初めてバンドを辞めたことを後悔しましたね。やっぱり社会ってこんなに厳しいんだな、って。そこから逃げるように転職活動を始めて、転職エージェントを介して出会ったのが3社目の会社です。

転職活動のために撮影した履歴書

転職活動のために撮影した履歴書

――ヴィジュアル系のインサイドセールスとして表に出るようになったのが、3社目に入ってからなんですよね。

つつみさん:
そうですね。会社の人たちはめちゃくちゃいい人たちばかりで、勉強の仕方をいろいろ教えてもらい、おかげでインサイドセールスの担当者として講演会に講師として呼んでいただくことになったんです。それで、ひとまず報告しようと社長に話したら「つつみ、おまえ元バンドマンだよな?めっちゃメイクしてギター持ってギュイーンッてやったら面白いから、やってみてよ」と言われて。すごく真面目なビジネスイベントなので、「何言ってるんだ……」と(笑)。最初は冗談かと思ってました。

でも、周りにも「ぜったいやった方がいいよ!」と後押しされて、ちょっとメイクして出るか、くらいの気持ちになりました。そしたら、元バンギャだった妻にも「中途半端が一番良くない。やるならとことんやれやっ」と怒られて……。それを聞いて、たしかにそうだよな、と思い、髪をピンクにして、バンドマン時代のメイクさんにお願いしてフルメイクでイベントに出たんです。イベントではちゃんとインサイドセールスの話をして。そしたら、かなり盛り上がって。

ヴィジュアル系インサイドセールスとしての登壇
それで、イベントが終わって、オフィスに帰ってきたら会社の後輩に言われたんです。

「”自由な社風” とか書かれていても、会社やビジネスの場だと髪型や髪色、服装に一定の制約があるのだと思ってました。でもつつみさんを見て、本当に大事なことさえやってれば、縛られる必要なんてない。そう思えた気がします」

それを聞いて、そうか、もしかしたらマナーや制約が多いビジネスの場だからこそ、僕が伝えられることがあるのかもしれない、と。それで「ヴィジュアル系インサイドセールスMIHIRO」としての活動が始まったんです。

型にはめこまれない、自由を

――最後に、ヴィジュアル系インサイドセールスとしての活動を通して、やっていきたいことなどあれば教えてください。

つつみさん:
今だからこそ言語化できますが、学生時代に憧れたヴィジュアル系バンドマンたちから、「型にはめこまれない表現の自由さ」というギフトを、僕は知らず知らずのうちに受け取っていたんです。

自分でも気づかないうちに表現が抑圧されている人たちへ、今度は僕が、ヴィジュアル系インサイドセールスの活動を通してギフトを渡していきたい。そう願い、明日もフルメイクで出社します。


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