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八月の終わり、生きてる理由 - カツセマサヒコ「もらったものが私をつくる」第6話【GIFTFULストーリー】
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八月の終わり、生きてる理由 - カツセマサヒコ「もらったものが私をつくる」第6話【GIFTFULストーリー】

2023/10/17 更新
もらったものが私をつくる
GIFTFULストーリー
八月の終わり、生きてる理由 - カツセマサヒコ「もらったものが私をつくる」第6話【GIFTFULストーリー】

「もらう」よりも「あげる」ほうがなんだか嬉しくて、でもその気持ちは、もしかして「くれた人」に失礼なんじゃないかって思ったりする。

もらったものが気に入らなくて「なんだこんなもの」と憤りすら感じていたのに、後になってそれに込められた気持ちに気付いてようやく愛情を噛み締めたりもする。

カツセマサヒコが描く、“ギフト”にまつわる不器用な人間たちによる一話完結の物語『もらったものが、私をつくる』。
第六回は、十年前の小さな約束が、今を支えている話。

八月の終わり、生きてる理由

終電が過ぎた高円寺のガード下をダラダラと、自宅のある阿佐ヶ谷方面に向かって歩いている。さっきコンビニで買ったビールはすぐに飲み終えてしまって、捨てる場所を探してみるけれど、あいにくどのゴミ箱もパンパンに詰め込まれていて、凹んだ缶の行き場がない。

そこらへんにテキトーに捨てちゃおうかと思うけど、どうにも踏ん切りがつかないのは、まるで自分が、この空き缶みたいだって思うからだ。

「お前みたいな奴がいつまでも辞めずに残ってるから、店の空気も悪くなんだろ」

今日、店長に言われた言葉。必死に汗かいて、オーダー取って、酒作って、料理出して。自分なりに頑張ってたつもりなのに、全然追いつかない。テンパって、意味わかんなくなって、最終的に、全部のテーブルのオーダーがごっちゃになっちゃった。

客からも店長からも、メチャクチャに怒られた。何かのドッキリかと思って、思わず笑っちゃうほどだった。そしたら、「店の空気も悪くなる」って言われた。もう、クビだって言われてんのと、大差ないと思った。

俺が握ってるこの空き缶も、おんなじ。べこべこに凹まされて、いつ捨てられてもおかしくない状態で、なんとかラッキーで、ここまで来てる。だから、俺がコイツをそこらへんに捨てたら、俺もどんなふうに捨てられるかわかんない。そんな気がした。

タイムカード切ってからも、最後まで皿を洗わされて、結局終電は逃した。こんなふうになるのも、別に初めてじゃないから、慌てない。てゆうか、慣れてきちゃってる。友達に話したら「そんな職場辞めたほうがいい」って言われたけど、何も成し遂げてないうちに辞めたら、ただ逃げただけじゃんってね。そんな雑に格好つけたプライド一つで、四ヶ月働いてる。たかだかバイト。されどバイト。

いつか、自分の店を、出したい。

誰にも言わないけど、本当は、そんな夢を密かに抱いてる。だから、辞めないで、少しでも吸収したいって思う。何でもすぐに投げ出す俺がどうしてこんなこと考えるかって言ったら、これは、罪滅ぼしなのか、それとも、やんわりと手渡されたアイツからのギフトなのか。もう十年経ったから、はっきりとは思い出せない。

十年前、中学で、イジめられてた。
正確には、イジめ返されてた。

俺は当時から体がデカくて、大体は誰かを見下ろすようにして、生きてきた。そこに勝手に恐怖を抱くやつもいれば、面白がってくれる大人もいて、あまりにそれが愉快で、背丈の小さいやつを見ると、ちょっとイジってみるようになった。そうしてだんだんと調子に乗って、いろんなやつを泣かした。それで、中学二年の夏、先生がとうとうキレた。

「弱いものイジメをするやつは、実はいっちばん心が弱いやつです。今日、そいつが誰なのか、クラスのみんなもわかったと思います。なので、みんなで逆に、イジめてもいいよ。イジメをする奴は、自分がイジめられるまで、ことの重大さに気付けないんだから」

最悪の教師。担任との相性が良くないことが、自分の不運な点だなって、今更思う。あの時、俺を嫌う担任は、俺だけを敵にして、ほか全員が平和になるように仕向けた。そんなのすぐに問題になると思ったのに、大人は誰も助けてくれず、親しかったやつも、親や学校側にチクってくれることはなくて、結局俺は、散々な目に遭った。

もう、全部やめちゃおうかな。

一時的に学校から離れられた夏休みが終わりに向かい、二学期がすぐそこに迫る八月最後の週。家から二十分くらいのところにある大きな川を眺めていると、ふと絶望が体の中を激しく駆け回って、ああ、楽になりたいって、初めて思った。川の流れは激しかった。その中になんとなく体を沈めてみようと思ったところで、アイツを見た。

クラスメイトの、野沢。
野沢はたぶん、本当に死のうとしていた。

それがどんな原因なのかわからないけれど、服を着たまま川の奥へと進もうとしていた野沢を、俺は羽交い締めにして止めた。最初は少し暴れたが、ふと我に帰ったかのように動かなくなって、その後、ごめん、と野沢が言った。

「なんでお前、そんなことすんの」
「いや、別に、生きててもいいことないから」
「そんなことないやろ」
「あるよ。生きててもいいことない。期待されてないし、むしろ俺がおらんほうが、おかあは助かる」

野沢ときちんと話したのは、その時が初めてだった。中肉中背の外見で部活にも入ってない野沢は目立たず、教室では会釈すらしたことがなかった。どんなやつかも知らなかった。二人でびしょびしょになったまま、河川敷に座って話をした。なんか青春っぽくて、恥ずかしかった。

「うち、おとんおらんねん。それで、おかあは水商売しとる。何日も地方に出稼ぎ行って、知らん男と寝て、金持って帰ってくる。誰のためやと思う?」
「知らない」
「俺のためや。俺を、学校に通わせなきゃいけないから、そんなことしとる。たまに一晩中泣いたりして、家でえらい酒を飲んで、煙草も吸う。昔はそんなんじゃなかったのに、おとんが出てってから、ずっとその感じや」

俺の心からは、なんの言葉も出てこなかった。俺がどれだけ学校でイジメられてても、野沢の苦しみを芯から理解したり共感したりすることは不可能だろうなって思った。悲しみの根っこの部分が、俺とは全く違う気がした。

「でも、俺が助けたんだから、お前ちゃんと生きろよ」
「なんで」
「なんでもだよ。俺の行動を無意味にするなよ」

真夏なのに、川の水は異常に冷たくて、それなのに俺たちは、濡れた格好のまま、我慢比べのように河川敷に座ってた。

「なんか、ほら、夢とかないのかよ」
「夢。ダサ」
「ダサくねえよ。そういうのがあれば、生きれるだろ。前向くだろ」
「そういうのがダサい言うてんねん」

寒いんだろう。野沢はブルブルと大きく鳥肌を立てて、それでも帰るとは言わなかった。さっきまで見えてたでっかい夕陽が沈むと、すぐに夜になった。空が黒くなってくると、風の吹き方が変わった。秋が来るのだと思った。

「店」

野沢が何かを観念するように、ボソリと言った。

「店、出したい」
「なんの?」
「焼き鳥屋かな。わからんけど。酒が飲めて、串で、なんか食べる。昔、おとんに連れてってもらった。よく覚えとらんけど、おとんも、おかあも、その夜は顔を真っ赤にして、よく笑っとった。だから、俺は、店、自分でやって、おかあも、そこで働かせたい」

あたりに街灯はなくて、野沢の顔が、よく見えなかった。でもきっと、野沢はあの時、うっすら笑ってたと思う。それで、俺に、教えてくれた。夢のこと。

「マジ。いいじゃん。やろうよ、店」
「え、やろうよって」
「俺もやるから」
「なんでお前がやんねん、関係ないやろ」
「おもろそうだから。店だして、お前の母ちゃんそこで働いてもらったり、働かなくても、飲みにきてもらったりしようよ。楽しいよ、それ」
「いらんわ、一緒なんて、ダサいし。一人でやるわそんなん」

あれから、俺は高校を出るタイミングで上京して、ずっとこっちで、バイトしながら暮らしてる。月曜から次の月曜まで、ほぼほぼ進歩ない暮らしをして、怒られたりけなされたり、無視されたりしながら、這いつくばってる。

野沢とは連絡も取ってないし、そもそも連絡先だって知らない。それなのに、なぜか十年前のあの会話が、俺を強く生かしてくれてる。絶望しかけたとき、いつかアイツと店をやるって、それだけのことが光となって、俺を照らす。ダサいって笑われたとしても、いつかアイツを迎えに行くって、心の真ん中で誓ってる。

もうすぐ家に着く。八月ももう終わる。捨てられなかった空き缶は、どうにか形を整えて、花でも生けてやるつもりだ。

作者プロフィール

カツセマサヒコ
小説家

1986年東京生まれ。2014年よりライターとして活動を開始。2020年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。同作は累計14万部を超える話題作となり、翌年に映画化。2作目の『夜行秘密』(双葉社)も、ロックバンド indigo la Endとのコラボレーション小説として大きな反響を呼んだ。他の活動に、雑誌連載やラジオ『NIGHT DIVER』(TOKYO FM 毎週木曜28:00~)のパーソナリティなどがある。


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