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「ゆうさんのこと、本当のお父さんだと思ってるよ」。血のつながらない愛娘からのメッセージ【GIFTFULストーリー】
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「ゆうさんのこと、本当のお父さんだと思ってるよ」。血のつながらない愛娘からのメッセージ【GIFTFULストーリー】

2023/10/17 更新
GIFTFULストーリー
「ゆうさんのこと、本当のお父さんだと思ってるよ」。血のつながらない愛娘からのメッセージ【GIFTFULストーリー】

ゲストが、大切な人からもらっていた“ギフト”の存在に想いをはせ、まだ伝えられていない想いを伝える「GIFTFULストーリー」。今回は、当社の代表取締役・飯髙悠太が、家族との思い出を振り返ります。

飯髙家はステップファミリーで、ふたりの娘と飯髙に血のつながりはありません。
ぎこちない関係から始まった飯髙家が、本当の家族になるまでにはたくさんの苦労と幸せがありました。
その中で、父と娘は互いにどんな“ギフト”を贈り合ったのでしょうか。

娘ふたりとの縮まらない距離

――飯髙さんは奥さんといつ出会ったのですか?

飯髙:
2016年11月末、仕事で沖縄に出張した時に妻と出会いました。付き合い始めたのは翌年4月からで、沖縄生まれ沖縄育ちの妻と、遠距離恋愛をしていました。

出会った時は、妻にふたりの子どもがいるとは知りませんでした。
会って2回目あたりでなんとなく気づいて、3回目に妻から打ち明けてもらったんです。

長女と初対面したのは、2017年の夏です。
休暇で沖縄に行くタイミングで、長女が主演をする舞台を見に行ったあと、僕と妻、お義母さんと長女の四人で食事をしました。

当時、長女は中学1年生で、うすうす僕と妻の関係性にも感づいていたのでしょうね。
最初に会った時は、完全によそ者扱いという感じで、塩対応でした。

今では家族の笑い話になっていますが、日記に「あのロン毛うざい」と書いていたそうです(笑)。

次女と初めて対面したのは、同じ年の年末でした。義妹が東京に住んでいて、彼女の家族と妻と娘、そして僕の六人でご飯を食べて、スポッチャに行ったんです。

その時、次女は小学三年生でした。
会話のやり取りはほぼないし、僕がそこにいないかのように妻と会話していて。
これは結構つらかったですね。

ただ、彼女たちの気持ちもよく分かるんです。
僕も、小学四年生の時に母が再婚しているので。

――そうだったのですね。

飯髙:
母が連れてきた見知らぬ男性と会うというのは、どう接すればいいのか分からない、言い知れない不安や抵抗感がありました。
多感な時期である娘たちは、あの時の僕以上に混乱していたんじゃないかなと思います。

「この人と仲良くなったら、ずっと生まれ育ってきた沖縄を離れなきゃいけないかもしれない」という恐怖もあったと思います。

「ゆうさんを本当のお父さんだと思っているよ」

――結婚したのはいつですか?

飯髙:
2019年2月です。3月末に、妻と娘が東京に来て一緒に暮らし始めました。長女が中学三年生、次女が小学五年生の時期です。

年頃の娘たちと一緒に暮らすのは、正直すごく不安でした。
たまに会って遊ぶのと、生活を共にするのはまったく別の話ですからね。

生まれも育ちも違うし、価値観も異なる。特にふたりは思春期でありつつ大人になっていくタイミングだったので、なおさらどう接するか気を付けました。

当時は、娘に伝えたいことがあっても直接言えない時もあり、その際は妻を介して伝えてもらうこともありましたね。

家族全員、正解が分からない状態でした。
2019年頃の夏からは家族会議を定期的に開いて、2人の考えを聞くようにしました。
それでも、大変なこともつらいこともたくさんありました。
特にしんどかったのは、家族でありながら、僕と娘たちの間には埋められない溝があることを、思い知らされることでした。

――それはどんな時に感じたのですか?

僕と出会う前の、家族の思い出に触れる時とかですかね。

「昔おじいちゃんおばあちゃんと一緒に、ユニバーサルスタジオジャパンに行ったよね」
とか、「おじいちゃんにこんなサプライズプレゼントをしたね」とか。

子どもたちの小さい時の写真を見ながら思い出話をするときも、「この時の娘たちには会えないんだな」と思ってしまって。それがすごく寂しかったですね。

彼女たちも気を使ってくれて、あえて実父のことを話題に出さなかったりする様子も感じました。
そうした優しさも含めて、「僕は生みの親ではないんだな」と痛感させられましたね。

この意識は、僕のなかで結構強かったんです。
それでも、娘たちを誰よりも大切に想っていたので、「僕は実の親ではない。その代わり、育ての親としてできる限りのことをするから」と、常日頃伝えていました。

ちなみに、長女はダンサーとしてたくさんのイベントに出ていたり、ダンススクールの講師として活躍したりしています。

彼女は高校に進学していません。僕が長女に、「やりたいこと(ダンス)が明確なのに、学校へ通う時間はムダじゃない?」と伝えたからです。

――かなりストレートなアドバイスですね。

飯髙:
ダンス一本で行くと決めてからは、ボイストレーニングやダンスレッスンなど、なるべくやりたいことが全部できるようにサポートしました。

長女は歌唱力もものすごく高いんですが、「自分はこっちの道ではない」とボイストレーニングを辞めてしまって。それでも僕は、ダンスや音楽というやりたいことの軸がぶれないかぎり、とにかく応援することに徹しました。

その代わり、サボっている様子が少しでも感じ取れたら、ハッキリ物事を伝えました。
「夢を追いかけている人間が、なにダラダラ生きているんだ」と。

僕の子育ては、母の影響が大きいかもしれません。両親は僕が3歳の時に離婚したんですが、一緒に暮らしていた母は常に、僕のよき理解者でした。

僕がやりたいことを常に応援してくれて、でも中途半端はダメだと諭してくれました。
人付き合いとか礼儀にも、とても厳しい人でしたね。


――まさに、飯髙さんの娘さんへの接し方そのものですね。

飯髙:
ずっと応援しつづけていくうちに、長女の心境にも変化があったようでした。

これはお義母さんから聞いた話なんですが、長女がひとりで沖縄に帰った時、「ゆうさん(飯髙のこと)とはどうなの?」と聞きました。
すると長女は、「ゆうさんの元に行けてよかった」と答えたらしいんです。

そして、次女が修学旅行でいなかった時、長女と妻と3人で、近場のコテージに泊まりました。

その時に、「私はゆうさんを本当のお父さんだと思っているよ」と言われました。
「前のお父さんも大切に思っているけれど、私を作ってくれたのはゆうさんだよ」とも言ってくれました。

――それは…胸にグッときますね。

飯髙:
この時は、泣きましたね。
なんていうか、もう無理して演じなくていいんだって思ったというか。
彼女は彼女で、こんなにいろいろやってくれているのに、育ての親に過ぎないと距離を取る僕を見て、寂しいと感じていたようです。

このことで、僕も吹っ切ることができました。
実の親として、もっともっと娘たちを大切にしていこうと。
あと、思っていることを遠慮せずに言ってやろうという気持ちにもなりました(笑)。

ちなみに、次女との関係は、もっと実の親子に近いです。
長女よりも打ち解けるのは早くて、一緒に暮らし始めてからは、僕の膝の上に座ったり、ぴたりとくっついて歩いたりしていました。

今は絶賛反抗期ですが、おまめ(ペットのわんちゃん)の散歩に誘うと一緒にいきますし。僕自身、次女には長女よりも遠慮なく物を言えている気がしますね。



僕が夜遅くに家へ帰ると、たまに次女からの手紙が置いてあるんです。
「私の部屋にまめが寝ているから、迎えに来てね」って。

家族のグループLINEで連絡してくれてもいいのに、あえて手紙でコミュニケーションを取ろうとしてくれるのが、すごく嬉しいんですよね。

次女はコミュニケーションを取ろうとすると、すごく喜んでくれるんです。
人と話すのが好きで寂しがり屋なところは、実の子なんじゃないかと思うほど似ています(笑)。

「僕のところに来てくれてありがとう」

――手紙以外で、娘さんたちからギフトをもらうことはありますか?

飯髙:
誕生日にプレゼントをしてくれます。妻と相談して、なけなしのお小遣いでプレゼントを買ってくれたりするのが、すごく嬉しいんですよね。

ある時、僕が好きなスポーツブランドのシャツを買ってくれた時はすごく驚きました。
僕、それが欲しいって妻にも言ったことがなかったんです。
おそらく、僕が普段着ているブランドをチェックして、その中でいろいろ考えて選んでくれたんだろうなと思います。

あとはやっぱり、手紙のプレゼントは嬉しいですね。
文面から、素直な感謝をごまかそうという照れくささが感じ取れるんです。
その裏にある「ありがとう」を感じられて、気持ちが温かくなります。

僕からも、ふたりにプレゼントを贈っています。
最初のうちは、ふたりとも遠慮がちで本当に欲しいものを言ってこなかったんです。
本当に欲しいメーカーのスニーカーの、ひとつ下のクラスを伝えてくるとか。

僕が「本当はこっちが欲しいんだろうな」と思ってプレゼントすると、すごく喜んでくれました。今となっては、遠慮なしにガンガン欲しいものを言ってきますけどね(笑)。何気ない生活の中で、彼女たちが欲しいとこぼしていたものをしれっと買ってプレゼントすることは多いです。

時には、ふたりに自分の大切にしている言葉を、手紙にして贈ることもあります。

話が少しそれましたが、やっぱり一番もらって嬉しかったギフトは長女の「私はゆうさんを本当のお父さんだと思っている」って言葉ですかね。この言葉に僕はどれだけ助けられているか、そしてどれだけ力を持っているかを常々感じます。僕を本当の意味で親という存在にしてくれたんだなって。

――素敵ですね。家族で暮らすようになって、飯髙さん自身にはどんな変化がありましたか?

飯髙:
彼女たちの変化への適応力や素直さは、すごく尊敬しています。

沖縄から東京に引っ越した時、ふたりともものすごく緊張していたんです。
でも、いざ新しい生活が始まったら、すぐに友達を作って今の生活になじんでいきました。

僕たちは東京での生活が始まって1年半後、鎌倉に引っ越しています。
その時も、娘たちは引っ越しにも大賛成してくれて、新しい生活にもすぐ慣れていきました。

僕が起業しようという時も、すごく応援してくれたんですよね。
家族から見れば、会社員で働いている方が生活は安定しています。それでも、ふたりが応援してくれたことには心から感謝しています。

――飯髙さんは、娘さんたちにどんな人生を送ってほしいですか?

飯髙:
大人になって過去を振り返ったとき、「こうしておけばよかった」という後悔を、なるべくしない生き方を送ってほしいですね。後悔がゼロになることはないと思うけれど、その数を減らすサポートをしていきたいです。

長女は夢に向かって頑張っていますが、次女は特にやりたいことはないようです。それはそれでいいなと、僕は思っています。
それ以外は、ただただ楽しく生きてくれれば言うことはないです。

――改めて、娘さんたちに伝えたいメッセージや、今だからこそ贈りたいギフトがあれば教えてください。

「僕のところに来てくれてありがとう」
この一言に尽きます。

今となっては娘たちがいない世界なんて、想像もできないですから。

普通の家族にとっては当たり前の光景かもしれませんが、僕と娘ふたりの後ろ姿を妻が撮影してくれたんです。でも僕にとってはこれは当たり前じゃないんですよね。ここまでに色々なことがあったし、だから本当に宝物なんですよね。



昔はよく、妻と娘ふたりに僕ひとりという組み合わせで歩いていました。
最近は、その組み合わせが逆転するときがあって。
これがすごく嬉しいんですよね。

家族旅行でも、僕が酔っぱらうと娘ふたりで布団まで運んでくれるんです。
その瞬間があまりに幸せすぎて、たまに酔っ払ったふりをします(笑)。

ギフトは、そうですね…。
あえて、家族の思い出の場所である赤羽のスポッチャに、みんなで行きたいです。
きっと今なら、とにかく楽しい時間を過ごせそうな気がします。


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