「もらう」よりも「あげる」ほうがなんだか嬉しくて、でもその気持ちは、もしかして「くれた人」に失礼なんじゃないかって思ったりする。
もらったものが気に入らなくて「なんだこんなもの」と憤りすら感じていたのに、後になってそれに込められた気持ちに気付いてようやく愛情を噛み締めたりもする。
カツセマサヒコが描く、“ギフト”にまつわる不器用な人間たちによる一話完結の物語『もらったものが、私をつくる』。
第八回は、母親となった親友に会いにいく話。
「ひさしぶり。元気してる?」
終電直前まで飲んだ、帰りの電車の中だった。美夕(みゆう)のInstagramの投稿に見兼ねた旭(あさひ)は、とうとう彼女のアカウントにダイレクトメッセージを送った。本当は、直接会いに行って「お前、何してんだよ」と襟首を掴んでやりたかった。それほどまでの憤りが、旭の中で激しく渦巻いていた。
美夕は昨年の暮れに、SNSに出産報告の投稿をした。その日から、美夕のアカウントは誰かに乗っ取られたかのように、生まれたばかりの赤ちゃんの写真しかアップされなくなった。たまに短尺動画で見切れるように登場する美夕の姿はすっかり疲れ果てていて、あの弾けるような笑顔は、画面越しには確認できなかった。
私、こんな赤ちゃんと友達になった覚えはないんだけど?
美夕を見たいだけなのに、どうして、彼女が出てこないのか。旭は、すがるような思いで、昔の美夕の写真を開いた。十三年前の秋。旭と美夕は、ほとんどの時間を一緒に過ごしていた。高校の選択授業も、予備校での自習室も、二人はずっと一緒だった。学校帰りに寄り道するときも、休日に遊ぶときも、必ず一緒だった。二人が家族以上に親密な関係であることを、周りも呆れながら認めているほどだった。
生涯で、最大最深の親友。どんなに時が経っても、たとえ違う大学に行くことになっても、仮に世界がそのまま終わろうとしても、美夕と旭の関係は、変わらない。美夕は美夕のまま、旭も旭のまま、二人で居続けるのだと、旭は信じてやまなかった。
だからこそ、今の美夕の姿が、許せなかった。
お前、誰とも結婚しないって言ったじゃないか。彼氏はつくってもずっと独身でいて、お互いおばさんになっても毎日朝まで一緒に飲もうって、言ってたじゃないか。
私は、美夕を「赤ちゃんのママ」から、取り返さなきゃならない。
旭は使命感に燃えた。スマートフォンをじっと見つめて、既読がつくのを待った。ようやく返事があったのは、自宅についてシャワーを浴び、布団に入った直後のことだった。
「電話していい?」
一通だけ返ってきたダイレクトメッセージに、不安がよぎった。「元気?」と訊ねて返ってきた返事が「元気」の一言ではなかったのだから、美夕が元気じゃないことだけは想像がついた。いつでも連絡していいと返すと、上半身をベッドから起こすより早く、電話がかかってきた。
「……ひさしぶり」
「ほんと、何年ぶり? 全然、連絡もしてこないでさ」
旭はあえて声を尖らせる。そうでもしないと、美夕の声を聞いて、泣いてしまいそうだった。そのくらい、美夕の声は弱々しく、すぐにでも掻き消えてしまいそうだった。
不安になった旭は、そのまま続けた。
「大丈夫なん? ちゃんと、元気?」
「あはは、さすがだねえ」
「なにが」
「お母さんみたい。付き合いも長いから、そうなるのもわかるけど」
「ねえ、笑いごとじゃないから」
「だよね。ありがと。バレてるとは思うけど、全然元気じゃない」
「でしょ。最近のSNS、ヤバいもん。相当溜め込んでるでしょ」
どの投稿も、ひたすら、子供が可愛いとばかり書かれていた。もちろん、本心で言っているのだと信じたい。でも、旭はうっすらと気付いてしまっていた。美夕は、その身の全てを育児に捧げて暮らせるほど、他者に献身的でいられる人間ではないのだと。
美夕の子供に、父親はいない。美夕は一人で育てていくことを決めて、子供を生んだのだ。
「母親、しんどいわぁ」
その声は、泣いていた。あの、つよがりで見栄っ張りな美夕が泣いたのだ。心の隅まで疲弊しきっている証拠だった。旭はもっと早くに行動すべきだったと、自分の楽観的な性格を恥じた。
「だいじょぶ。だいじょぶだから」
独身で、子供もいない旭に、美夕の状況を想像し切ることはできない。具体的な解決策ももちろん浮かばない。ただ、泣いている美夕の声を聞いた今、安心させる言葉を探し、伝えるほかなかった。旭は、明日の始発で美夕のもとに向かうことを約束して、電話を切った。
翌朝。空には雲ひとつない景色が広がっていた。美夕から教えてもらった住所を頼りに電車を乗り継ぎ、足を進めると、真新しいアパートがあった。美夕と子供の住む1Kは、想像していたよりもずっと綺麗に片付けられていて、自分が家に来るから掃除をしてくれたのではないかと、旭は早くも後悔した。美夕は、やつれた様子を隠しもせず、赤ちゃんを抱いたまま、旭をダイニングチェアに座らせた。
「ごめんね、わざわざ来てくれてありがと」
「全然。謝ることはなんもないけど」
旭は美夕を見て小さくショックを受けていた。あんなにも天真爛漫で、元気だけが取り柄のようだった美夕が、今はまるで別人のように、萎んで、枯れてしまいそうな佇まいでそこにいた。
「美夕、ほんと、だいじょぶ?」
「うん、だいじょぶ。なんとかやってる」
昨夜の電話とは正反対の回答に、また無理しているのだとすぐにわかる。旭は赤ちゃんを怖がらせないようにゆっくりと、美夕の左手を両手で包んだ。
「大丈夫じゃないって。あんた、そんなんじゃなかったじゃん」
泣きそうになっていたのは、旭のほうだった。あれだけ親しかった友人が、今にも目の前で朽ちてしまいそうな気がした。
「なになに、旭、どしたの」
「だって、美夕、明らかに疲れてそうだし、こんなにボロボロになるまで、一人で頑張ってて、おかしいじゃん」
美夕の腕の中で、赤ちゃんが静かに寝ている。大切な親友から養分を吸い上げたように、艶やかな肌をしているその寝顔すら、旭は憎く思いつつあった。しかし、旭とは対照的に、美夕は実に穏やかな顔をしてみせた。
「それ勘違いだよ、旭」
「なにが?」
「この状況は、私が望んだこと。昨日は弱音吐いちゃったけど、それ以上の充実感もあるよ」
「いや、でも、しんどいわって電話で言ったじゃん」
つよがりではないかと、旭は美夕を見つめた。しかし美夕の表情は変わらない。
「旭がさ、ずっとそばにいてくれて、ほんと助かったし、楽しかったんだよね。高校時代からずっとね」
「なに、いまさら」
「なんとなく。当時は、あのまま二人でいたいって本当に思ってたけど、でもね、妊娠したときに、一度は母親もしてみたいって、わがままだけど、そう思ったんだよ。だから、後悔はしてないの。この子にも、生まれてきたことに後悔はないって、絶対にそう思わせたいの」
旭に向けられた美夕の眼差しは、高校時代のそれよりもずっと温かく、優しく、それでいて強いものだった。美夕はもう、母親になったのだ、あの時のような子供ではないのだと、旭はようやく、そこで気付いた。
「でも、しんどいんでしょ、後悔はしてなくても。だったら、美夕が変わっちゃっても、私は美夕は美夕だと思ってるし、私に手助けさせてよ。私こそ、助けられてたんだよ。美夕がいなかったら、私もいないよ」
この家に着いてもなお、旭は美夕のことを、怒鳴りつけるつもりでいた。しかし、美夕の覚悟を聞いてみれば、いくら怒鳴ったり嘆いたりしても、もう過去は過去に過ぎず、戻りようがないのだと諭された気になる。
だったら、前に進むしかないじゃないか。
今は、目の前の二人をどうにか幸せにしたいと、旭はその気持ちでいっぱいになって、気付けば立ち上がり、うしろから二人をそっと抱きしめていた。
カツセマサヒコ
小説家
1986年東京生まれ。2014年よりライターとして活動を開始。2020年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。同作は累計14万部を超える話題作となり、翌年に映画化。2作目の『夜行秘密』(双葉社)も、ロックバンド indigo la Endとのコラボレーション小説として大きな反響を呼んだ。他の活動に、雑誌連載やラジオ『NIGHT DIVER』(TOKYO FM 毎週木曜28:00~)のパーソナリティなどがある。
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